Higher Love「愛は神から出ている」〜Ⅰヨハネ4:7

明けましておめでとうございます。

今朝はとっても良い気持ちで目覚めることができました。

昨晩の紅白歌合戦の大トリで MISIA の Higher Love という新曲を聞き、それを思い巡らしていたからです。

まるで、聖書の世界のゴスペルが、異教社会のお祭りの最後で歌われたように感じました。

もちろん、この歌詞も曲も、どの宗教にも適用して解釈することができます。また、ある意味で正統的なキリスト教を批判するニューエイジ的な雰囲気をも持っていますから、宗教的と批判されることもないでしょう。

Higher Love とは「崇高な愛」または「人知を超えた愛」という意味で使われていると解釈することができます。

フルバージョンは以下でお聞きいただけます

歌詞は でご覧いただけます。

最後の歌詞が感動的です

何も知らぬまま 何度も傷ついたけど
先なんて見えなかった
雲に覆われた世界をはらってくれたものは

Higher Love

よく、「愛することは、傷つくこと」と言われます。他者のために真剣な思いで行ったことが、あらぬ誤解を受けたり、余計なお世話と言われたり、その動機を疑われたりすることがあるからです。使徒パウロも、恩知らずなコリント教会に向けて、「私があなたがたを愛すれば愛するほど、私はますます愛されなくなるのでしょうか」(Ⅱコリント12:15) と書かざるを得ないことがありました。

今の世界を「雲のように覆っている」コロナ恐怖。しかし、その恐怖を払いのけるのは、「神の愛」です。それは次のように、記されています

愛には恐れがありません(または「恐れは愛の中に住み得ません」)。
全き愛は恐れを締め出します (Ⅰヨハネ4:18)

これはたとえば、古代教会でペストと思われる疫病が蔓延したとき、世の人々は感染者を通りに放り出す一方で、キリスト者の群れは、感染者を自分たちの住まいに招き入れて世話をしたというような「神の愛」の実践を指します。

またこの Higher Love という曲では、「届け higher love この手に higher love」というフレーズが繰り返されますが私たちは人々に、まことの愛を届けようと思い立って初めて、自分の中にある愛と、その不足を感じ、それが神から生まれているということを認識できます。それが次のように聖書で記されています

私たちは互いに愛し合いましょう。
愛は神から出ているのです。
愛がある者はみな神から生まれ、
神を知っています。
愛のない者は神を知りません。
神は愛だからです (Ⅰヨハネ4:7、8)

私たちがまことの神を知っているということは、他者を愛することができるということで証しされます。もちろん、そのときに、自分の中にある「愛」には自己中心の思いが混ざっていることに気づかされます。

しかし、それでも、多少なりとも他者を愛しているという現実の中で、自分は神から新しく生まれた者であるということを感謝して良いのです。

それがこの Higher Love の歌詞では「この身の中に宿る確かな愛を引き上げて 届け higher love この手に higher love」と歌われます。

さらに続いて「何度も転んで私見つけたの だからもう離したくないの so give me higher love」と歌われます。

先の聖書のことばの続きには次のように記されています

神はそのひとり子を世に遣わし、
その方によって
私たちにいのちを得させてくださいました。
それによって
神の愛が私たちに示されたのです (Ⅰヨハネ4:9)

私たちは人を愛し、傷つき、何度も転ぶことによって初めて、御子を世に遣わしてくださった神の愛を知り、それをもっと自分に注いで欲しいと願うようになります。

さらにこの歌では「この声をどこに響かそう 救いのない光もない暗闇の中で」と歌われます。

これは、神が御子を世に遣わしてくださったと同じように、私たちが世に遣わされることを意味します。

さらに「この体を誰に委ねよう 汚れのない終わりのないあなたへ」と歌われる歌詞は、聖なる永遠の神に、自分の身を献げることを意味します。

さらに「遥か遠く遠くいるような気がしていたけど ほんとうはいつも一緒だったのね 深い眠りから目を覚ました今 静かにあなたに叫びます」と歌われます。

Higher love が自分といつも一緒にいたとは、愛の源である神がいつも共にいてくださることを意味し、今までの人生の中で、何度も転ぶことによって、それに気づかされたことを意味します。

「神は愛です」という聖書のことばを味わいながら、自分の中にはすでに神の愛がいてくださり、それを外に向かって実践することによって、さらに自分が神の愛の通り良き管とされることを歌っていると解釈することもできるのではないでしょうか。

この曲の作者 藤井風さんのことについて僕は全く知りません。しかし、すべての人間が「神のかたち」に創造されているという現実からすれば、その人がキリスト信仰を持っているかどうかに関わらず、神はその人を通してご自身のみことばの真理を知らせることができると考えることができます。

このようにこの歌を解釈したら、なにかとってもとっても嬉しくなりました。コロナ恐怖に委縮する日本社会にまさに必要な歌だと思いませんか?