宮清めの祭り——クリスマスの起源?〜詩篇120篇6、7節

先日のメッセージでイエスのエルサレム入城の場面から語りましたが、その際、人々が歓呼を持ってイエスを迎える姿が、その二百年前のユダ・マカベオスの勝利の入城に倣ったものと申し上げました。

その後、意外に、このユダ・マカベオスのことについて知られていないことに気づかされました。

現在の私たちの聖書には含まれませんが、カトリック教会の聖書には「」と呼ばれる部分が、旧約と新約の間に挟まっています。これは霊感された書ではないことがほぼ明らかにされているので、聖書に含めるべきではないと私たちは考えますが、新約の時代背景を知るうえでは、とっても役に立ちます。聖書協会共同訳にはこの部分を含む版があります。

アレクサンドロス大王の大征服の後、このギリシャ王国は分裂しますが、そのシリアの部分を受け継いだのがセレウコス朝シリアと呼ばれます。そこに自分を神の現れと称するアンティオコス・エピファネスという野蛮な王が現れ、エルサレム神殿をギリシャのゼウスの神殿に作り変えようとしました。

その際に、ユダ・マカベオスによってリードされたユダヤ人のゲリラ部隊が、シリア軍を撃破し、エルサレム神殿を清めました。それが行われたのはキスレウの月(現在の11月から12月に相当)の二十五日です。多くの人は、この宮清めの祭りが、現在のクリスマスにつながっていると認めています。

ヨハネ福音書10章22節に、「そのころ、エルサレムで宮清めの祭りがあった。時は冬であった」という記述があります。

ヨハネの福音書では、イエスがエルサレムに入城する際に、「大勢の群衆は……なつめ椰子の枝を持って迎えに出て行き、「ホサナ、祝福あれ、主の御名によって来られる方に。イスラエルの王に」と叫んだと記されます (12:12、13)。

これは明らかに、Ⅱマカバイ記10章に描かれたユダ・マカベオスの勝利を祝った場面を民衆が真似たと思われる情景です。

これが現在の私たちにとっても身近なのは、多くの人に親しまれている表彰式の歌が、もともと18世紀にヘンデルが作曲したオラトリオ「ユダ・マカベオス」の最も有名な曲だからです。

以下でお聞きいただくことができます

歌詞は以下のような内容です。

見よ、征服する勇者が来られる。
トランペットを吹き、ドラムを叩け。
ささげものを用意し、月桂樹を持って来い。
彼に勝利の歌を歌おう。

ヘンデルがこの歌を書いたきっかけは、英国での1689年の名誉革命の後に、 が廃され、ドイツのハノーヴァーの王を、英国王室に迎え入れることになりました(現在の英国王室はこの )。それに対し、スチュアート朝が王位復活を企てた1746年のジェームズ党の反乱がありましたが、これを鎮圧した将軍のためにヘンデルが書いたと言われます。

詩篇120篇6、7節には次のように記されています

この身は 平和を憎む者とあって久しい。
私が 平和を——と語りかければ
彼らは戦いを求めるのだ

人間の歴史の常識は、自分たちの理想を守るためには、武力を用いて、敵対者を抑えるしかないというものです。私たちは「平和」を求めたいですが、そのためには時に、圧制者に抵抗するためには、自分や家族の命をも犠牲にする必要があるかもしれません。

武力を用いた戦いの方が、はるかに短期間に問題の解決を図ることができます。そのときに用いられる物語や曲が、上記のユダ・マカベオスの勝利をたたえた歌です。

しかし、私たちの主イエスは、この勝利の入城の後、敢えて十字架にかけられることで、死の力を打ち破りました。

私たちが真に平和を求めるなら、ときにこのイエスの十字架の姿に倣う必要があります。それは多くの人々の常識に逆らう行為です。

しかし、神の御子はこの地に平和をもたらすために、無力な赤ちゃんとなってこの地に生まれ、最後は十字架にかけられてこの地上の生涯を終えました。もし、主の三日目の復活がなければ、これほど愚かな生き方はありません。

アレクサンドル大王の将軍の末裔に対する勝利を祝った「宮清めの祭り」を、全世界の王が、ひ弱な赤ちゃんとなったことを祝う日に変えた、それがキリスト教会の歴史です。

オリンピックの金メダルを祝うために先のユダ・マカベオスの勝利の歌が用いられるのはとっても良いことです。しかし、もともとは英国のスチュアート朝の反乱を武力で抑えた勝利の歌であったということも覚えていたいものです。またその背後に、ユダ・マカベオスとイエス・キリストの対比を見ることができれば幸いです。

人の目には敗北と見られたことが、神にある勝利の記念碑でした。