詩篇104篇

昨日も今日も、美しい日差しですね。いかがお過ごしでしょうか。当教会のすぐ近くに、家の周り一面に様々な色のアジサイが咲いている家があります。ほんとうに、この時期のために、丁寧に育てておられる感じです。

これから間もなく梅雨に入りますが、このようなお宅があるというのは嬉しいですね。

先日と再来聖日はヨブ記での神ご自身によるかたりかけのことばからお話ししております。神が、苦しみうめくヨブに向かって、この世界は神の美しい創造のみわざで満ちていることを語る箇所です。

とにかく、このヨブ記における神ご自身の語りかけと詩篇104篇に多くの共通の表現や同じ視点があることに驚きました。

どちらがどちらの影響を受けているというよりも、同じことを別の視点から語っているという不思議が見られます。

以前、ご紹介しました僕の郷里の大雪山旭岳を登山、散策したときに、この詩篇104篇が、まるでこの山の情景を語っているようで嬉しくなりました。特に以下の描写です

主は泉を谷に送り

山々の間を流れさせ

野のすべての獣に飲まさせ

野ろばの渇きを癒されます。

その傍らには空の鳥が住み

それらは枝の間で声を上げます。

主は高殿から山々に水を注ぐ方

あなたのみわざの実りで地は満ち足ります。

旭岳山頂のからのスロープが穏やかに変わる部分に泉が湧きだし、そこから川になって、それが徐々に広くなります。

残雪と高山植物のコントラストが美しく鳥のさえずりも聞くことができます。

中腹には天然の温泉もあり、ほとんど人がいない中で、そこにつかることもできます。

また6節には原初の世界をおおっていた「大水(テホーム)」のことも描かれます。これはノアの大洪水の話しにも通じます。

日本は島国ですから、この海と陸の境界を創造主ご自身が定めてくださるということは、とっても身近な感覚ではないでしょうか。

現代の私たちは、地球が太陽の周りを一年かけて回り、月が地球の周りを一か月かけて回るということを、当然のことのように理解しています。

聖書の時代の人々は、そのような感覚など、およびも尽きませんでした。

しかし、そのような宇宙の法則を理解したからと言って、人生に何の変化が生まれるのでしょう。それが何らかの生きやすさにつながっているのでしょうか。

神の不思議な創造のみわざへの感動が薄くなった結果、自分の未来は、自分の努力次第と考えるようになり、それがある種の人々をますます傲慢にする一方、ある種の人々を自己嫌悪と無力感に追いやってしまいます。

しかし、よくよく考えると、「自然」という考え方は極めて異教的な発想です。これはもともと「じねん」の呼ばれる仏教用語でした。すべてのことに因果律を認め、創造主の存在を必要としない世界観です。

聖書によると、すべてが神の御手のわざであり、毎日が、神の不思議な創造のみわざで満ちているということになります。この真理の確かさは、自然科学の発展によって、いささかも揺るぐことはありません。

私たちは、もっと頻繁に、神の創造のみわざの不思議に感動する瞬間を大切にすべきではないでしょうか。

以下の詩篇104篇1–25節の私訳交読文を味わっていただければ幸いです。先日の礼拝でみんなでともに交読しながら、改めてこの詩の美しさに感動していました。

わがたましいよ 主 (ヤハウェ) をほめたたえよ。 (1)

主 (ヤハウェ) わが神よ あなたはまことに大いなる方。

あなたは威厳と威光を身にまとっておられ

光を衣のようにまとい 天を幕のように張られます。 (2)

水の中にご自分の高殿の梁を置き (3)

密雲をご自分の車とし 風の翼で進まれます。

あなたは風をご自分の使いとしておられます。 (4)

燃える火を ご自分に仕える者に。

主は地を その基の上に据えられました。 (5)

とこしえまでも揺るぐことがないようにと。

大水で あなたは衣のように地をおおわれました。 (6)

山々の上に 水はとどまりました。

あなたの叱責によって 水は逃げ (7)

あなたの雷(いかずち)の声で 急ぎ去りました。

水は山々を上り 谷を下りました。 (8)

あなたがその基とされた場所へと。

あなたは境を定められました 超えることがないように (9)

水が再び地をおおうことがないようにと。

主は泉を谷に送り (10)

山々の間を流れさせ

野のすべての獣に飲まさせ (11)

野ろばの渇きを癒されます。

その傍らには空の鳥が住み (12)

それらは枝の間で声を上げます。

主は高殿から山々に水を注ぐ方 (13)

あなたのみわざの実りで地は満ち足ります。

あなたは家畜のために草を生えさせます。 (14)

人が労して得る作物をも。

主は地からパンを生じさせ

ぶどう酒は 人の心を喜ばせ (15)

油は 人の顔を輝かせ

パンは 人の心を支えます

主 (ヤハウェ) の木々は満ち足りています。 (16)

主が植えられたレバノンの杉の木も。

そこに 鳥は巣をかけ (17)

こうのとりは もみの木を宿とします。

高い山は 野やぎのため (18)

岩は 岩だぬきの隠れ場。

主は季節のために月を造られました。 (19)

太陽はその沈むところを知っています。

あなたが闇をもたらされると 夜になり (20)

そこであらゆる野の獣が這い回ります。

若い獅子は餌食(えじき)を求めて吼(ほ)えたけり (21)

神に自分の食物を求めます。

太陽が昇ると 彼らは退いて (22)

自分のねぐらで横になります

人は 自分の仕事に出て行き (23)

夕暮れまでその働きにつきます。

主 (ヤハウェ) よ あなたのみわざは何と多いことでしょう。 (24)

すべてを知恵によって造られ

地はあなたのもので満ちています。

そこには 大いなる 広がりゆく海があります。 (25)

這うものや生き物は数え切れません

小さいものも大きなものも

以下は、今から40年余り前の米国のゴスペルシンガー・エイミーグラントが歌った詩篇104篇の歌です。

この最後の24、25節の歌詞が、そのまま歌われています。とっても素朴な中に、この詩の感動が伝わってきます。