洗礼式を前にしての黙想〜伝道者の書12章

あなたの若い日に。あなたの創造者を覚えよ。
わざわいの日が来ないうちに。
また「何の喜びもない」という年月が近づく前に
伝道者の書12:1

実はここでの「あなたの若い日」とは、80台を迎えておられる方にも適用できるみことばです。

私が大学の交換プログラムでアメリカに留学したのは1974年のことでした。その頃、 の歌がいたるところで聞かれましたが、あるとき「Sing」という曲がスーッと心に響き、急に英語がわかるような気持ちになって世界がどんどん広がり始めました。それは、今になってみれば、積極思考を促すような歌詞の内容でした。当時の私は、表面的な強がりの影に、何とも説明しがたい神経症的な不安を抱えていました。それを忘れるため、良いこと嬉しいことばかりを歌っていたいと思っていましたが、そのような心を励ます内容がこの曲に込められていました。実は、これを歌ったカレン・カーペンターも同じような葛藤を味わっていたようです。

カレンはまるで、悲しいことを忘れるために、歌っていたかのようです。そのような歌詞の内容を歌う日本での昔のコンサート映像を見ながら、何とも言えないほど痛々しく感じられました。なぜなら、それから約十年後、彼女は32歳の若さで、拒食症による衰弱のため息を引き取ったからです。彼女は自分が太る体質であることを脅迫的に恐れ、食べた物が自分の肉にならないようにと身体を痛めつけ続けていました。ありのままの自分を受け入れることができずに必死に頑張り、ついに力が尽きてしまったのです。

何とも痛ましいことですが、これを通して摂食障害という病が社会的に認知されるようになりました。私たちの心も身体も自分の思うようにはならないということを受け入れることは大切な知恵です。この心も身体も、私たちの創造者だけが、本当の意味で生かし用いることができます。

私は幸い、留学中の若かったときに、私自身の創造者と出会うことができました。ただ、その頃は、「心の闇を、信仰によって克服する……」というような発想でしかありませんでした。

それに優しく向き合うことができるようになったのは、信仰に導かれてから十年余りも経ってからのことでした。いろんなことが順調に進んでいると思われる元気なうちに、あなたの創造者を覚えることができるなら、様々な試練の中でも、自分を優しく受け入れられるようになることでしょう。

「あなたの創造者を覚えよ。あなたの若い日に」(12:1) という勧めは多くの若者たちに愛されてきました。ただこれは、その後に続く、三回の「その前に」ということばとセットになっています。

第一は、「災いの日々が来て、『私には何の喜びもない。』と言う年が近づく、その前に」ということで、人生を謳歌しているような若いうちに「あなたの創造主を覚えよ」という意味です。

そして、第二は、「太陽と光、月と星が暗くなり、雨の後にまた雲が戻って来る、その前に」(12:2) ということです。これは、神がこの世界をさばかれるという「主の日」が来る前に(イザヤ13:9、10) という意味にも理解できます。ただし、それ以前に、繁栄に満ちた時代が過ぎ去り、神が「あなたの地をやみでおおう」時、奴隷のように虐げられながら生きるような時が来るその前に (エゼキエル32:7、8)、「あなたの創造主を覚えよ」という勧めとしても理解できます。

第三の「その前に」ということばが、原文では12章6節の初めに記されます。そして6、7節は、人間の死を詩的に表現したものと思われます。これに解説を加えながら訳すと、「こうして、銀のくさり(美しいいのち)が切れ、金の器(かけがえのない身体)が砕かれ、水がめが泉の傍らで割れ(心臓が止まり)、井戸車が井戸で砕かれ(循環機能が止まり)、ちりはもとの地に帰り、霊(息)はそれを下さった神に帰る、その前に」と表現することができます。

つまり、「あなたの創造者を覚えよ。あなたの若い日に」とは、生きているうちに、気力が充実した元気なうちに、物事が順調に進んでいるうちに、あなたの身体も個性もすべてをパーソナルに創造してくださった神を覚えなさいという意味です。

その際、「あなたの創造者」ということばを深く味わってみましょう。その方は、私たちの様々な欠点や弱さや障害のすべてをご存知で、私たちを「このままの姿」で、受け入れてくださいます。自分を取り繕う必要はありません。

しかも、私たちが自分の力で世界を開くことができるかのような好い気になっているそのような時こそ、創造者を覚えることが大切だというのです。

実際、老年になってしまうと、なかなか自分の生き方や発想を切り替えることができません。そして、自分を中心にしか世界を見られない人は、年を重ねるとともに、恨みや不満を募らせながら生きるということになりかねません。

ここでは、そのように暗く悲しい日が来る「その前に、あなたの創造者を覚えよ」と勧められているのですが、「あなたの創造者」ということばを、「私の手の創造者、私の足の創造者、私の歯の創造者、私の目の創造者、私の耳の創造者」と言い換えて見ると良いでしょう。

それは、自分の身体と五感のすべてを神からの賜物として受け止め、それが機能するうちに思う存分それを生かし、その感覚を優しく受け止め、「今、ここで」の感覚を大切にして生きるということです。

以下は1976年にカーペンターズが来日したときのものかと思われます。カレンが子どもたちを巻き込んで日本語でこれを歌っています。

「歌おう、悲しいこと忘れるため」……という日本語の歌詞に切なさを覚えます。人生は悲しみに満ちているからです。

人は老年になるとともに、悲しみの日々がどんどん増えてきます。僕も高齢者ですから、昨日、コロナワクチンを受けましたが、創造主を知っている者は、「悲しみを忘れる」のではなく「悲しみに直面する」勇気をいただけるのかなと思います。