マタイ14章1〜12節「バプテスマのヨハネの非業の死と愚かな権力者」

2021年1月3日

韓国ドラマで、朝鮮王朝内での権力闘争や怨念の連鎖を見るときに、「王族に生まれるのも大変だな……」と思わされます。しかし、そのような世界は、神の民であったはずのユダヤ人の歴史に中にも見られました。

人は一人では何もできないひ弱な存在なので、いつも何らかの組織を作りますが、そこには権力闘争が必然的に生まれます。理想を実現するためには権力を握るしかないからです。しかし、やがて権力自体が人間の良心を麻痺させて行きます。誠実さを全うしなくても、手段を選ばない強制力によって望む結果を生み出すことができるからです。

しかし信仰者は、一人で神の前に立つということを知っている者です。天の真の権力者を知ることによってのみ、私たちは権力の罠から自由になることができます。

1.イエスからさえも、「あの狐」と呼ばれたヘロデ

14章1節は、「そのころ、領主ヘロデはイエスのうわさを聞いた」という表現から始まります。この領主ヘロデとは、ヘロデ大王の息子のヘロデ・アンティパスのことです。彼はガリラヤ地方とヨルダン川東岸のペレヤ地方の国主でした。

ルカ13章31-33節によると、イエスは、パリサイ人から「ここから立ち去りなさい。ヘロデがあなたを殺そうとしています」と警告を受けたとき、「行って、あの狐にこう言いなさい」と、ヘロデに関して驚くほど失礼な表現を用いながら、ご自身はどのような攻撃や脅しを受けようとも神のみこころを成し遂げ続けると伝えさせました。

イエスの姿勢は、人の顔色ばかりを見て、その行動に何の真実も見られないヘロデの生き方とは対照的でした。それにしてもヘロデは「のように生きなければ、40年余りにもわたり権力の座に留まることはできなかったことでしょう。

彼の父ヘロデ大王は、イエスの誕生に際してベツレヘムの二歳以下の男の子を皆殺しにしましたが、それ以前に、自分の最愛の妻マリアンメと二人の息子を殺し、自分の死の直前には長男をも殺しました。それで、「ヘロデの息子であるよりはヘロデの豚である方が安全だ」という陰口を叩かれるほどでした。

それに加えて、当時のユダヤの支配権は、ローマ皇帝から委任されているもので、皇帝の思いひとつで支配権はすぐに奪われる可能性がありました。そのような中で彼が生き残ることができたのは、「」のような用心深さを持っていたからだと思われます。

2節では、「イエスのうわさを聞いた」ヘロデが、「家来たちに『あれはバプテスマのヨハネだ。彼が死人の中からよみがえったのだ。だから、あの奇跡的な力が、彼のうちに働いているのだ』と言った」と記されます。

ヨハネを殺したのはヘロデですが、彼は人々がイエスに関してそのように言っていることを耳にしていました (マルコ6:14)。またそこでは、イエスのことを「エリヤだ」と言う者たちがいたとも描かれています。それは、預言者エリヤが地上での死を見ることなく火の戦車とともに天に引き上げられ、マラキ書の終わりでは世の終わりのさばきに先立って再び神から遣わされると預言されていたからです。

なお、イエスはバプテスマのヨハネこそ「来たるべきエリヤなのです」(マタイ11:14)、また「女から生まれた者の中で、バプテスマのヨハネより偉大な者は現れませんでした」(同11:11) と言っておられました。

とにかく、ヘロデはヨハネを殺したことを後悔しながら不安に怯え、イエスを死者の中からよみがえったヨハネと見ていたのです。

そして3-11節では、ヨハネが殺された経緯が描かれます。まず、「実は、以前このヘロデは、自分の兄弟ピリポの妻ヘロディアのことでヨハネを捕らえて縛り、牢に入れていた。ヨハネが彼に、『あなたが彼女を自分のものにすることは律法にかなっていない』と言い続けたからであった」(3、4節) と記されます。

ヨハネがヘロデを非難したのは、レビ記で「人がもし、自分の兄弟の妻をめとるなら、それは忌まわしいことだ。彼はその兄弟の裸をあらわにしたのである。彼らは子のいない者となる」(20:21) と記されていることに由来します。

なお当時の歴史書、ヨセフスのユダヤ古代誌によると以下のような経緯が見えてきます。

ヘロデはローマ皇帝の勧めに従って隣国のアラビヤ王アレタスの娘を妻としていましたが、あるときローマに行く途中に腹違いの兄弟ピリポのもとを訪ね、そこで彼の妻ヘロディアと恋に落ちます。

ヘロディアは、ヘロデがアレタスの娘を追い出すことを条件に、ピリポとの間に生まれた娘サロメを引き連れて、再婚することを約束します。それでヘロデはアレタスの娘を離縁しようとしますが、それを察した彼女は先手を打って家を出て、父のアラビア王アレタスにヘロデの非道さを訴えます。それが原因で、ヘロデはアレタスから攻撃を受け、散々な敗北を喫しますが、ローマ皇帝に取り入って助けてもらい、危機を乗り越えます。

一方、ヘロディアが先の夫のピリポを捨てたのは、自分の血筋を誇りながら、夫の将来性を見限ったからです。彼女はヘロデ大王の孫娘であると同時に、彼が嫉妬で殺害したマリアンメの孫娘でした。

そしてマリアンメは、ヘロデ大王の陰謀で滅ぼされた正当なユダヤ王家の血を受け継いでいると自負し、夫のヘロデ大王を軽蔑していました。そして彼女の息子でヘロデ大王に殺害されたアリストブロスからヘロディアが生まれています。

まさに彼女は高貴な血筋以上に、先祖の怨念を受け継ぎながら育ち、当時の権力者ヘロデ・アンティパスとの再婚によって自分の道を開こうと情熱的に願っていたのでしょう。

そして5節では、「ヘロデはヨハネを殺したいと思ったが。民衆を恐れた。彼らがヨハネを預言者と認めていたからである」と記されます。

ただマルコによる福音書では、ヘロディアはヨハネを恨み、彼を殺したいと思いながら、できずにいた。それは、ヨハネが正しい聖なる人だと知っていたヘロデが、彼を恐れて保護し、その教えを聞いて非常に当惑しながらも、喜んで耳を傾けていたからである」(6:19、20) と描かれています。ヨハネを殺したいという思いは、ヘロディアの方がはるかに強かったので、マルコはその面を強調しているのですが、そこではヘロデの臆病で歪んだ性格も顕わになっています。

彼は真っ向から自分の再婚を非難するヨハネを放置できずに投獄しましたが、同時に、「正しく聖なる人」に危害を加えて神のさばきを受けることを恐れていました。そればかりか、ヨハネが人々から賞賛されている様子を見て、彼の教えを聞きたいとも思っていました。彼は恐れと好奇心に動かされた極めて臆病な人間であり、ヨハネの話を聞いたとしても、自分の生き方を反省しようなどという気持ちはまったくありませんでした。

ですから、ヘロデには、ヨハネを恐れる気持ちと、殺したいと思う気持ちの両方が共存していたと言えましょう。

この行動パターンはイエスが、後に捕らえられ、ローマ総督ピラトのもとから一時的にヘロデのもとに送られてきたときのものと似ています。そのときの様子がルカによる福音書では、「ヘロデはイエスを見ると、非常に喜んだ。イエスのことを聞いていて、ずっと前から会いたいと思い、またイエスが行うしるし何か見たいと望んでいたからである。それでいろいろ質問したが、イエスは何もお答えにならなかった」(23:8、9) と描かれています。

このときヘロデはイエスの態度に腹を立てたのか、その後態度を一変させ、「自分の兵士たちと一緒にイエスを侮辱したり、からかったりしてから、はでな衣を着せて、ピラトに送り返した」と描かれます (同23:11)。

ヘロデは何の信念もない、薄っぺらな軽蔑すべき人間の代表者でした。イエスは確かに一人ひとりに誠実に向き合ってくださる方ですが、聞く耳をまったく持とうともしない人の前では沈黙を守り、過ぎ去って行かれることがあったのです。ここにイエスの厳しさを見ることができましょう。

2.娘は母親にそそのかされ、『今ここで、バプテスマのヨハネの首を盆に載せて……』と言った

ところがここで、「ヘロデの誕生祝いがあり、ヘロディアの娘が皆の前で踊りを踊ってヘロデを喜ばせた」と描かれます (6節)。そこでヘロデは「娘に誓い」、「求める物は何でも与えると約束した」という事態になります (7節)。

マルコ6章によると、ヘロデはこのとき、愚かにも「おまえが願う物なら、私の国の半分でも与えよう」と「堅く誓った」というのです (23節)。彼はローマ皇帝にへつらいながら、ようやく自分の支配地を任されており、まだ「領主」と呼ばれ「」としての任命も受けていない中途半端な立場に過ぎません。

しかし、そのような人こそ人々の前で虚勢を張り、自分の権力を必要以上に誇示したがります。反対に、人の前で遜ることができるのは、心が安定している証しです。キリストが徹底的に謙遜になることができたのは、彼が真の王であったからです。ヘロデは偽者の王だからこそ、威張る必要があったのです。

そしてここで、悲劇が起きます。そのことが「すると、娘は母親にそそのかされて、『今ここで、バプテスマのヨハネの首を盆に載せて私にください』と言った」(8節) と描かれます。たぶん、自分の血筋を誇っているヘロディアは、人を人とも思わない態度で、これを娘に願わせたのでしょう。

この少女はサロメという名で、当時12歳から14歳の間であったと思われ、自分のことばの残酷さを十分に理解していました。たぶん、事前に母のヘロディアと打ち合わせをしていたことでしょう。

どちらにしても、サロメは母の連れ子として母に逆らうことができなかったばかりか、同時に、怨念の連鎖の中に生きていたのだと思われます。

ヘロディアには、自分こそユダ・マカベオス以降のユダヤ王家の血筋を受け継ぐ者との誇りがあったことでしょうが、同時に祖父のヘロデ大王はその王家を滅ぼした張本人でした。そこでは血筋への誇りと、それに結びつく怨念が絡み合っています。

そのような者にとっての権力は、何かの崇高な理想を達成するための手段というより、鬱積した恨みをはらすための凶暴な道具となります。権力と怨念が結びつくと人間性が失われます。

しかも、それはヘロディアばかりか、娘であるサロメの問題でもありました。彼女は母親の気まぐれな恋愛に振り回されて実の父親のもとから引き離され、母しか頼りにできない環境に置かれています。サロメは母に逆らうことなどできないのです。

そして、彼女も、そのような怨念と恐怖を、非道な権力を行使することで和らげようとします。あどけない少女が血のしたたる生首を盆に載せて運ぶことができるというのは、彼女の心がそれ以上の恐怖や恨みに支配され、人間としての自然な感情を失っていた最大のしるしといえましょう。

ヘロディアもサロメも、権力者の家族の中にいなかったとしたら、これほど卑劣で残酷な行動は取れなかったことでしょう。権力は偶像になります。権力が人を堕落させます。

3.「自分が誓ったことであり、列席の人たちの手前もあって……ヨハネの首をはねさせた」

それに対して、「王は心を痛めた」というのですが、「自分が誓ったことであり、列席の人たちの手前もあって、与えるように命じ、人を遣わして、牢の中でヨハネの首をはねさせた」(9、10節) と、恐ろしいことが驚くほど簡潔に記されます。

彼は大げさな誓いを破ることで、後で妻のヘロディアに責められ、軽蔑されるという恐れもあったことでしょう。しかし、ヘロデには何よりも、列席の人々の前で自分をひ弱な支配者と見られたくはなかったという歪んだ恐れがあったことでしょう。

本来ならば、自分の過ちをすぐに認めるのが真の勇気ですが、ヘロデは臆病すぎて自分の過ちを人々の前で認めることができなかったのです。残念なのは、そのようなヘロデの愚かさによって、あまりにも簡単にヨハネの首がはねられたことです。

鬼の首をはねるのは「鬼滅の刃」のテーマですが、イエスが、「女から生まれた者の中で、バプテスマのヨハネより偉大な者は現れませんでした」と言われた人の首がこれほど簡単に切られてしまったのです。

昔から多くの画家が「」を描いており、ネットですぐにいくつもの絵が見られます。

そして、その後の経過が、淡々と「その首は盆に載せて運ばれ、少女に与えられたので、少女はそれを母親のところに持って行った」(11節) と描かれます。兵士は日頃から、支配者の命令をそのまま実行するように訓練されています。彼らは機械のようにヨハネの首を盆に載せて、少女に渡し、彼女もそれをそのまま、母親に渡しました。

その結果が、「それからヨハネの弟子たちがやって来て、遺体を引き取り、葬った。そして、イエスのところに行って報告した」(12節) と淡々と記され、悲惨な最後のようすが読者に迫ってきます。

誰からも信頼され、時の権力者からも恐れられていた人が、どうしてこのような無残な死を遂げたのでしょう。これが自分たちの信仰を守るためには命をも賭けてローマ帝国と戦うと豪語するユダヤ人の国で起こったことなのです。そこには「神を恐れる者」が一人もいなかったのでしょうか……。

そこには「重臣や、千人隊長や、ガリラヤのおもだった人たち」(マルコ6:21) など、当時の高い地位の人々が招かれていました。そこには、神を恐れる、優しい人間もいたことでしょう。彼らはいったい何をしていたのでしょう。ただし、その場の雰囲気を思い浮かべると、何も言えなかった気持ちもわかります。

もし、これが公式な祝宴ではなければ、ヘロディアに恨まれるのを覚悟で、なお、ヘロデの命令をたしなめる人もあり得たかもしれません。しかし、ここにあったのは組織的な動きでした。そこに列席していた重臣たちは、領主の相談を受けたときには発言できても、領主が人々の前で兵士に発する命令に意義を唱えることは基本的に許されません。

多くの人々は、組織は誤った決断をしないという誤解を抱いています。しかし、歴史を見て明らかなように、組織こそ、個人では決してやり得ない、とんでもない過ちを犯すのです。

たとえば、個人としてのドイツ人は信頼できる人が多くいますが、彼らは組織として600万人ものユダヤ人を虐殺することができました。個人としての日本人は優しい人が多いのですが、組織的には朝鮮半島や中国でとんでもないことをしました。東京電力には優秀な方々が多いのですが、原子力発電所の大規模事故の可能性を想定しないという前提の上に組織が運営されていました。一人では絶対やり得ない過ちを、組織はしてしまうのです。

氏はそのことを、「組織は罪に対して盲目であることが多いものです。なぜなら、誤るはずはないという暗黙の前提があるからです……組織は悔い改めるようにはなっていません。誰かが誤ったことをした場合、それを矯正するわけでもなく、自らを深く探ろうともしません。むしろ、組織というものは・・自分自身を政治的に信じ、信頼するように意図されているのです……組織そのものが偶像になります」と指摘しつつ、キリストに従うことができるのは、組織ではなく、個人であるということを決して忘れてはならないと強調しています。

日本では、しばしば、個人的な決断よりも、集団としての決断の方が信頼できるという大きな誤解があります。しかし、ある一人の人が、真剣に神の前に祈り、問題が起きた場合には個人として全責任を負うという覚悟を下す決断であれは、多数決による決断よりも、はるかに信頼できるのではないでしょうか。

多数決には個人の責任が曖昧になる危険があります。

宗教改革の原点は、1521年にマルティン・ルターが、ドイツ皇帝臨席の下、ウォルムスで開かれた帝国議会で主張の取り消しを迫られたとき、たった一人で、皇帝の命令に逆らったことに始まります。時の皇帝カール五世は当時の南北アメリカ大陸全体をも支配する大国スペインの王でもありました。

ルターは皇帝と議会との前において、「聖書の明らかな証拠によって私の誤りが証明されるのでない限り……私の良心は神のことばに堅く結び付けられています。私は、私の良心に反して行動することは危険であり、不名誉でありますから、私は何も取り消すことができません……私はこれ以外の何もできません。私はここに立ちます。神よ、私を助けてください」と語りました。

プロテスタント教会、特に私たちの自由教会においては、一人ひとりが神の前に立ち、神のさばきのみを恐れ、良心に反する組織的な決定には従わない権利が認められるという合意の上に立っています。信仰とは、一人ひとりが神の前に立つことだからです。

ところで、ここに登場したヘロデ・アンティパスは、ローマ皇帝がティベリオからカリグラに代わったときにその地位を奪われます。それは、ヘロディアの弟のヘロデ・アグリッパ (使徒12:1) が、新皇帝のカリグラの幼馴染だった関係を利用して、ヘロデ・アンティパスの隣り合わせの領地の支配を任せてもらえたばかりか、国王の称号を受けることができました。

そのときアンティパスは妻のヘロディアから「私の弟より低い地位に甘んじているのか……」と何度もけしかけられ、皇帝に嘆願しますが、それがかえって皇帝の不興を買い、また、そこにアグリッパの讒言もあり、すべての領土を失ってしまいます。

人の顔色ばかり見て自分の身を守ろうとしたヘロデは、最後に、妻の競争心に動かされて自滅しました。一方、無残な最期を遂げたバプテスマのヨハネは、自分のいのちをかけて王の非道を責めつつ、人々を救い主イエスのもとへと導きました。

そして、イエスは、ヨハネよりもはるかに悲惨な十字架刑で殺されましたが、三日目に死人の中からよみがえりました。キリストは今、天において「王の王、主の主」として世界を治めておられます。

ヘロデ・アンティパスも、ヘロディアとその娘のサロメも、権力の罠の中で、「神のかたち」としての人間性を失ってしまいました。組織も権力も、この社会を変革する上では何よりも有効な手段となります。それはお金と同じように、あまりにも大切なものであるからこそ、偶像になり、人を堕落させます。

権力は短期的には自分の望む結果を生み出すことができますが、それが人の良心を麻痺させることがあります。

しばしば日本の政治でも、大臣になったとたん辞任に追い込まれることがありますが、権力には、その人の持っている罪の性質を露にする力があります。

一方、崇高な理想を持つ高潔な人間には、この世の矛盾を解決するための権力を持ち、人と人との協力を作り出す組織を動かしてもらいたいとも思います。しかし、どんな立派な人間でも、「神を恐れる」ということを知らなければ、権力を乱用し、組織を機能不全に陥らせることがあります。それは多くの政治指導者にも見られたとおりです。

彼らは個人的には良い人たちでしょうが、「主を恐れることは知恵の初め、聖なる方を知ることは悟ることである」(箴言9:10) と記されているような意味での、知恵と悟りを持つ人は稀かもしれません。

ですから使徒パウロはこの世の政治に関し、「王たちと高い地位にあるすべての人のために願い、祈り、とりなし、感謝をささげなさい。それは、私たちがいつも敬虔で品位を保ち、平安で落ち着いて生活をするためです」(Ⅰテモテ2:1) と勧めています。