Ⅱ歴代誌16章~19章「主(ヤハウェ)を恐れる交わりの回復力」

2020年3月15日

私たちが憧れる指導者の姿は、自分の信念を生涯貫くことができる人かもしれませんが、しばしば、それが人の話を聞くことができない頑固さになって、不幸な老年を迎える場合もあります。その反対に、いつでも身近な人との人間関係を大切にし、ときにはとんでもない悪人に振り回されながら、同時に、信頼できる人も周りにいるおかげで、倒れそうで倒れない柔軟な指導者を見ることができます。

私たちの中にも、この頑固さと柔軟性、その両面があるかもしれませんが、「主  (ヤハウェ) を恐れる」ときにすべてが益とされます。

1.「アサは……その病気の中でさえ、主 (ヤハウェ) を求めなかった」

Ⅰ列王記では「アサの心は生涯、(ヤハウェ) とともにあり、全きものであった(直訳「心が主 (ヤハウェ) と平和であった」)」(15:14) とまで記され、その支配は41年間にも及びますが、その間、北王国イスラエルでは三つの王家が滅んでいました。彼の功績は偉大です。

ただⅡ歴代誌15章の最後に、「アサの治世の第35年まで戦いは起こらなかった」と記され、彼の残りの約6年間の治世の間に、混乱が起きることが示唆されており、それが16章で描かれます。

その最初で「アサの治世の第36年に、イスラエルの王バアシャがユダに上ってきて、ラマを築き直し、ユダの王アサのもとに誰も出入りできないようにした」と記されています。

バアシャ(以前の訳では「バシャ」)とはⅠ列王記15章27-29節、33節によると、アサの第3年にヤロブアムの子ナダブ(エフライム族)を殺して王位を奪った者で、イッサカル族の出身で24年間王位に留まっていました。ただそれからすると、アサ王の27年にはバアシャは死んでいるはずですから、このアサの36年ということばの意味が分からなくなります。しかし、歴代誌ではあくまでもアサ王の支配の末期に起こった出来事と書いてあるので、どう解釈してよいかは分かりません。

ラマ」とはエルサレムの北約8㎞の町で、ヨシュア18章25節ではベニヤミン族に分け与えられた町として登場しますが、それが北王国イスラエルの前線基地として要塞化されようとしていたという意味だと思われます。11章13-17節、15章9節では北王国の民がエルサレムに礼拝に来る様子が描かれており、それを止めるという意味があったことでしょう。

アサはこの動きに対して北王国イスラエルの北にある大国アラムに金銀を送って、イスラエルを北方から攻撃するようにと頼みます。その結果、アラムの王はイスラエルの最北端のダンからガリラヤ湖北の町を攻撃します。するとバアシャはすぐに軍隊を北方に配置するためにラマの建設を止めます。それを受けてアサはラマの石材と木材を用いて東と北各数㎞のゲバミツパに砦を建てました。

これは人間的には極めて賢い外交政策とも言えます。ただそこに大きな危険があります。アラムはダビデ、ソロモンの時代にはイスラエル王国に服従していましたが、基本的にそのときのそのときの都合で同盟関係を変えるような信頼できない国です。そのような国と手を結んで、自分の同胞であるイスラエルを攻撃させるということは、兄弟喧嘩に勝つために隣のヤクザの助けを得るようなものです。

かつて、アサの父アビヤは二倍の勢力をもって攻めてきた北王国軍に向かって、「イスラエルの人々よ、あなたがたの父祖の神、 (ヤハウェ) と戦ってはならない。とうてい勝ち目がないから」(13:12) と迫り、主にある勝利を体験させていただきました。つまり、北王国との関係は、神の民にとっての存在基盤である主 (ヤハウェ) との関係の中にあるのです。それをこの世の戦いの関係に落としてはなりません。イスラエルとの関係を考えるなら、これはまさに信仰の問題なのです。

その愚かさを的確に指摘したのが「予見者ハナニ」でした。ただ不思議なのは、16章7節の終わりでは「それゆえ、アラム王の軍勢はあなたの手から逃れたのです」と記されていることです。これは、アサが主 (ヤハウェ) に拠り頼んでいたとしたなら、バアシャばかりか、当時バアシャと同盟を結んでいたアラムさえ打ち破ることができていたという意味です。

つまり、人間的に手っ取り早い解決に走ったことで、主 (ヤハウェ) が考えておられたより大きな勝利の機会を失ってしまったということです。さらに16章8節では先の14章9-12節に描かれた「クシュ人ゼラフ」との戦いでの勝利が引用され、エジプト南部のエチオピアからの百万の軍勢と300台の戦車隊を、「 (ヤハウェ) に拠り頼んだ」ことによって撃退できたことが思い起こされます。

その上でアサが持つべきだった視点が「 (ヤハウェ) はその御目をもって全地を隅々まで見渡し」と記され (16:9)、主が「御力を現わしてくださる」のは、その心が主と「全く一つになっている」あるいは「その心が主と平和になっている(シャロームの形容詞)」人々であると描かれます。つまり、アサの心はこのとき主 (ヤハウェ) との平和を失って、主が見るような大局的な視点を見失っていたのです。

そして最後に「このことで愚かなことをした」と批判されながら、「今から後、数々の戦いをともにすることになる」と言われます。これは、アサが根本的な解決を求めなかったので、ユダ王国が今後、アラムとの戦いにさらされ続けるという意味です。

アサクシュの攻撃を受けたときは、人間的には勝利が絶望的であったと思われたからこそ、主 (ヤハウェ) に必死にすがるしか方法がありませんでした。しかし、北王国イスラエルからの攻撃には人間的な知恵で対処できると思えたからこそ、(ヤハウェ) に拠り頼むことを忘れてしまったとも言えます。

私たちの場合も、日々の仕事は人間的な知恵で対処できるので、主に必死にすがるということを忘れてしまいがちかもしれません。しかし、今回の新型コロナウィルスのように人々がパニックに陥るようなときこそ、主に必死にすがることの大切さを覚える機会であるとも言えましょう。しばしば言われるように、人間的にはピンチであるときこそ、主にあるチャンス、つまり、主にある圧倒的な勝利を体験できる機会と言えるのではないでしょうか。

ところが、「アサはこの予見者に対して怒りを発し、彼を牢獄につないだ」 (16:10) と描かれ、さらに「このことで激しい怒りを抱いた」と記されます。「激しい怒り」とはヘブル語で一つの単語で英語ではenraged(激怒した)とも訳されます。同じ言葉を用いて、箴言19章3節では、「人の愚かさは自らの道を滅ぼす。その心は主 (ヤハウェ) に向かって激しく怒る」と記されます。

その現れとして「アサはこのとき、民のうちのある者を踏みにじった」と、評価の高い王から横暴な王に転じたことが描かれます。さらにそれから間もなく「その治世の39年に、両足とも病気になった」と記されますが、その時の彼の反応が「それは非常に重かったが、その病気の中でさえ、彼は主 (ヤハウェ) を求めず、>医者を求めた」(16:12) と描かれます。なおこれは現代的な意味での医者ではありません。当時の医者は「まじない師」と似たような存在に過ぎませんでした。

アサはそこで、主から責任を問われていると感じるべきであったのに、それでも主に必死にすがろうとしなかったと描かれているのです。それは、プライドの高い人に起こる悲劇かもしれません。それが先に引用した箴言で描かれる「愚かさ」です。

アサは人間的には極めて賢く、評価の高い王でした。それが13、14節に描かれた丁重な葬儀の描写に現れています。またⅠ列王記15章23節でも「彼は年をとってから、両足とも病気になった」としか描かれません。

しかし、このように人間的な評価が極めて高い人が、その老齢期において、愚かなプライドに囚われている場合があるのです。私たちも気を付ける必要があります。自分で神様のことや聖書のことが分かっていると思う人こそ、神の前に傲慢である場合があります。

2.「主 (ヤハウェ) はヨシャファテとともにおられた。」「彼はアハブと婚姻関係に入った」

17-20章にはアサの子ヨシャファテの働きが詳細に記されます。彼は北王国のアハブとその子たちの時代と重なっており、列王記ではエリヤエリシャの働きの陰に隠されているかのようです。しかし、歴代誌では、この二人の預言者の代わりに、アサヨシャファテの主に対する熱心さが描かれています。

17章1、2節ではヨシャファテが北王国イスラエルに対して勢力を増し加え、その中心部族「エフライムの町々に守備隊を置いた」と描かれます。また3節ではその理由が、「 (ヤハウェ) はヨシャファテとともにおられた。彼が最初の父祖であるダビデの道に歩んだからである」と記されます。

その際、敢えて「彼はバアルの神々に求めなかった。それは彼が父祖の神を求め、その命令に従って歩んだからである。イスラエルの行いに倣うことなく」と記されます。そこには当時の北王国イスラエルがアハブのもとで本格的なバアル礼拝に入っていたこととの対照が示唆されています。

アハブはシドンの王女イザベルを妻として迎え、首都サマリアにバアルの神殿を建て、そこでバアルのための祭壇を築くようなことをしていました。 (ヤハウェ) はそれに対し預言者エリヤを遣わして、ご自身に立ち返らせようとしたことがⅠ列王記17-22章に詳しく描かれます。しかし、歴代誌ではそれを全く描かずに、ヨシャファテが熱心に主に仕えたことが描かれます。

7-9節で、ヨシャファテがその治世の第三年に、彼の五人の高官たちを9人のレビ人、二人の祭司とともに遣わし、「ユダの町々で」、「 (ヤハウェ) の律法の書を……民の間で教えた」と描かれています。当時はいけにえをささげて礼拝をすることが中心であったのに、律法を教えていたということは画期的なことです。

そして10、11節では、「 (ヤハウェ) の恐れが、ユダの周りの……王国にあった」ので、戦いがなかったばかりか、ペリシテ人やアラビア人からも貢ぎ物があったと描かれ、ソロモンの時代が思い起こされます。

17章12-19節では、「ヨシャファテはしだいに並外れて強大になり、ユダに城壁や倉庫の町々を築いた」という表現から始まり、彼の軍事力が描かれます。そこではユダに三つの軍団、ベニヤミンに二つの軍団があり、これらを合わせると、アサのときの兵力 (14:8) の二倍をはるかに超える規模になっています。

ところが18章1節では驚くべきことに、「ヨシャファテには富と誉れが豊かに与えられたが、彼はアハブとの姻戚関係に入った」と記されます。これはヨシャファテが北王国イスラエルの王アハブの娘アタルヤを自分の息子ヨラムの嫁に迎え入れたことです (21:6、22:2)。

これによって当時のカナンで隆盛を極めたシドンのバアル礼拝が、イゼベル、アタルヤを通してユダ王国に持ち込まれる道が開かれてしまったのです。

そして18章2節では続けて、「数年後、彼がサマリアのアハブのところに下って行くと」ということばとともにヨシャファテがサマリアでアハブの丁重なもてなしを受け、ガリラヤ湖の南東のラモテ・ギルアデの地をアラムから取り返す戦いに加わるように誘いを受けます。

それに対しヨシャファテは、「私と同じようにあなたがあり、あなたの民と同じようにわたしの民はある。私たちは戦いにおいてあなたとともにある」と言いました(18:3私訳)。このことばは、ヨシャファテの父アサが、イスラエルの王バアシャの攻撃を退けるためにアラムの王と手を結んだことが予見者ハナニから非難されたことの反省に立っているとも考えられます。

しかし、現実は、アラムの勢力が強くなってきていることに対して、アハブとヨシャファテがこれまでの50年間の戦いに幕を下ろして手を結び合ったということに過ぎません。

この戦いの後に、19章2節では先見者エフーがヨシャファテを非難して、「悪者を助け、主 (ヤハウェ) を憎む者を愛するというのですか。このことのゆえに、あなたの上に、(ヤハウェ) の前から怒りが下ります」とさばきが宣告されますが、同時に、「しかし、あなたには良いことも認められます。あなたはこの地からアシュラ像を取り除き、心を定めて神を求めて来られました」と告げられます。

これは、ヨシャファテ自身に対するさばきは限定的であるという意味と理解できますが、同時にそれはユダ王家が滅亡寸前の破局までに追い込まれることをも示唆します。

そして18章4-27節で、ヨシャファテの提案で預言者ミカヤアハブの前に呼び出され、アハブの最後を宣告するというストーリーへと展開されます。これはⅠ列王記22章5-28節にほとんど同じことが記されています。

そこでヨシャファテがアハブに、「まず、(ヤハウェ) のことばを伺ってください」 (18:4) と頼むと、何と四百人もの預言者が集められますが、これはエリヤとのカルメル山の戦いに出なかったアシェラの預言者である可能性もあります (Ⅰ列王18:19参照)。彼らはそろってアハブの勝利を約束します。

それが嘘であることを見抜いたヨシャファテは「ここには……(ヤハウェ) の預言者が、ほかにいないのですか」と尋ねます (18:6)。するとアハブは、「ほかにもう一人、主 (ヤハウェ) に伺うことができる者がいます」と言いながら、「私は彼を憎んでいます。彼は私について良いことは預言せず、悪いことばかりを預言するからです」とも言います。

ヨシャファテがその言い方をたしなめると、アハブはイムラの子ミカヤを召し出します (18:7-9)。

ヨシャファテがいたおかげで、預言者ミカヤのことばをイスラエルとユダの王と長老たちは聞くことができました。ヨシャファテがアハブと手を組んだことは、ユダ王国を破滅に追いやる愚かな選択でした。しかし、主はこのときもヨシャファテとともにいて、神の民の指導者全体に、主のみこころが告げられたのです。

3.「ヨシャファテは、主 (ヤハウェ) のさばきと訴訟に携わる者たちを任命した」

18章9-15節では偽預言者たちのことばと、ミカ自身も偽預言者を真似て、それがアハブに気づかれて非難されるようすが描かれます。

そこでミカヤはアハブに真実を告げます。それは全イスラエルには、「羊飼いのいない羊の群れ」のように真の指導者がいないということと、「彼らをそれぞれ自分の家に無事に帰らせよ」という主の命令でした (16節)。これはアハブ王の死によって、イスラエルとユダがこの戦いから解放されることを示唆するものです。

アハブはその意味をすぐに悟ってミカヤを非難しますが、彼は天の御座で起きたことを19、20節で述べます。それは、主 (ヤハウェ) ご自身が「アハブを惑わして攻め上らせ、ラモテ・ギルアデで倒れさせるのはだれか」と問いかけ、それにしたがって「ひとりの霊」が「彼のすべての預言者の口で偽りを言う霊となります」と答えたというのです。

つまり、アハブの周りにいる預言者たちは、主のさばきの御手として偽りを言うことでアハブを破滅に導くというのです。これはサウルを破滅に追いやった場合と似ています。ただしこの場合、彼らは何よりも、自分の方から主の語りかけに耳を塞いだということを忘れてはなりません。主ご自身が人を自滅に追いやるために「偽りを言う霊」を送ることがあるのです。

その後、アハブはヨシャファテに、「私は変装して戦いに行きます。しかし、あなたは、自分の王服を着ていてください」(18:29) という卑怯な提案をします。気の良いヨシャファテはそれに従い、一度はイスラエルの王と間違われて攻撃を受けてしまいます。しかしそこで、「ヨシャファテが助けを叫び求めたので、主 (ヤハウェ) は彼を助けられた」と記されます (18:31)。

一方、アハブには何気なく放たれた矢が鎧の隙間を突き抜け、致命傷となります。そして彼の最後が、「イスラエルの王は、アラムに向かって夕方まで戦車の中で立っていたが、日没の頃になって死んだ」と、アハブの死が驚くほど簡潔に記されます (18:34)。アハブは陣営が崩れないように、アラムに向かって立ち続けて死んだのでしょう。

なおⅠ列王記22章36節では「日没のころ、陣営の中に 『それぞれ自分の町、自分の国に帰れ』という叫び声が伝わった」と記されます。これは先の「彼らをそれぞれ自分の家に帰らせよ」(18:16) という、ミカの預言が成就したことを意味します。

19章1節では、「帰ってきた、ユダの王ヨシャファテは、平和 (シャローム) のうちにエルサレムの自分の家に」と記され、ヨシャファテが神の御守りの中でエルサレムに帰還できたことが描かれます。その上で2、3節では先に記した先見者エフーの叱責のことばが記されます。彼はそれをどう受け止めたのでしょう。

4節の最初では、「ヨシャファテはエルサレムに住んだ。そして立ち返った」と記されます。これは彼がエルサレム神殿での礼拝を第一にした生活を示唆しています。同時に「彼は民の中に出て行った、ベエル・シェバからエフライムの山地に至る地に。そして彼らを父祖の神、主 (ヤハウェ) に立ち返らせた」と記されます。これは17章7-9節に描かれた主の律法を教える働きを再開したことを意味します。

彼は自分がアハブと手を組んだことを悔い改め、人々を主のもとに立ち返らせることに情熱を注いだと描かれています。

そして19章5-12節では、(ヤハウェ) のご支配を目に見える形で表す政治体制を構築したことが描かれます。「さばき人」とは裁判官である前に、政治支配者です。

彼は6節にあるように「 (ヤハウェ) のため」に、主の代理としてそれぞれの町に公正な神の支配を実現するように政治を行うように命じられました。そして8、9節では、エルサレムにおける最高裁判所的な機能を果たす「さばき人」を任命したことが記されます。

ただその際、「 (ヤハウェ) のさばき」に関してはレビ人と祭司の中から、また「訴訟」つまり民事に関わることについては「氏族のかしら」たちの中から、「さばき人」を選んだと記されます (19:8)。その際、「(ヤハウエ) を恐れ、真実と全き心をもって」、主の公正な支配を実現することが命じられました (19:9)。

これは、申命記17章8-13節に命じられていた最高裁判所の機能を実現したという意味です。申命記ではその直後の14-20節で、主 (ヤハウェ) に立てられ、主を恐れて王国を治める王の姿が描かれていました。

ダビデやソロモンは、すべての権力を自分のもとに集中させましたが、ヨシャファテは主の律法に立ち返り、主に仕えるレビ人や祭司を、各地のさばき人として立て、またエルサレムにおいても、自分から独立した最高裁判所の機能を作り出したのです。

そして、11節では、「 (ヤハウェ) の事柄全体に関して責任を持つ」「さばき人」と、「王の事柄全体に関して責任を負う」「さばき人」という、信仰と政治の支配の分離組織まで作り上げています。

この後、ヨシャファテがアハブの娘を息子の嫁に受け入れたことが王国の悲劇をつながって行くようすが描かれますが、しかし、同時に、その破局的な状況下で、祭司を中心とした組織が機能して、ダビデ王家が守られるということも描かれます。

その基礎をヨシャファテは築いていました。彼はエルサレムを破局に導く外交政策を取ってしまいましたが、それを内側から回復させるシステムも同時に築いていたのです。

アサは生涯の最後に、人間的な賢さのゆえに悲惨な最後を迎えました。一方、ヨシャファテはその柔軟性のゆえに北王国のアハブの家と同盟を結ぶという最悪のことを行いましたが、同時にすばらしい政治力を発揮しました。

彼の名は「 (ヤハウェ) はさばかれた」を意味し、「さばき人」のヘブル語シャファトに由来します。彼の名のように、彼はエルサレムと支配地全域に「さばき人」を任命し、政治を組織化できました。

歴代誌には系図と名前ばかりが目立ちますが、しかし、それこそこの書の特徴です。キリスト教会とはキリスト者の共同体に他なりません。

そこでは、人間関係を通してこの世の極悪人の影響が現れることもあるかもしれませんが、主は、主を恐れる人をも交わりに置き、ご自身の教会の中に回復力を備えていてくださいます。