マタイ4章12〜25節「真理はあなたがたを自由にする」

2019年10月20日(世界宣教の日)

私は学生時代に英会話を学ぶために宣教師のもとを訪ねました。そしてあるとき伝道集会に誘われて行きました。そこではヨハネの福音書4章14節から、「永遠のいのちへの水が湧き出る」という「」を受けるようにとの招きがありました。そこでイエスを救い主として信じたい人は、前に出るようにと言われました。私はそこで、「ここで信仰の決心をするなら、日本社会の中で浮いてしまい、将来に傷がつく……」とためらいました。

その後、米国に留学する機会があり、そこでの交わりの中で、そのような恐れから解放され、イエスに従う者となりました。私はそのとき不思議に、「これで日本の村社会から自由になれる!」と思いました。

米国には今も昔も様々な問題がありますが、そのような同調圧力は日本に比べるとはるかに小さいように思われます。しかし、ひょっとしたら、多くの米国人は、お金の奴隷になっているかもしれません。なぜなら、米国流の個人主義の陰には、お金があって初めて成り立つ「選択の自由」があるからです。

日本社会の何よりの魅力は、互いを思いやる優しさや調和にあると思います。しかし、そこには一人ひとりの主体性や自由を抑圧する同調圧力がいつもあります。

私たちはイエスに従うことで、そのような圧力から自由になりながら、同時に日本人としての互いを思いやる優しさを真の意味で生かすことができるのです。

1.神の国を実現する救い主の登場

12節は、「イエスは聞かれた、ヨハネが引き渡されたということを、それでガリラヤに退かれた」と記されています。ここではイエスの悲しみが推察されます。

ご自身はサタンの誘惑を退けましたが、当時のユダヤの支配者であるヘロデ……アンテパスはサタンに操られるように自分の権力欲に従って、自分を公然と批判するバプテスマのヨハネを捕らえました。その理由は、後にヨハネが殺される経緯が記された14章3、4節で、「以前このヘロデは、自分の兄弟ピリポの妻ヘロディアのことでヨハネを捕らえて縛り、牢に入れていた。ヨハネが彼に『あなたが彼女を自分のものにすることは律法にかなっていない』と言い続けたからであった」と記されています。

ヘロデ大王には多くの妻からの多くの息子たちがいましたが、その一人のヘロデ……アンテパスは、自分の異母兄弟ヘロデ……ピリポの妻ヘロディアに恋をします。ヘロディアも、自分の夫のピリポの権力基盤が弱いことに嫌気を覚えて、アンテパスの方に走ります。しかしそれは、「人がもし、自分の兄弟の妻をめとるなら、それは忌まわしいことだ……彼らは子のいない者となる」(レビ記20:21) と書いてあるように律法に反することでした。

夫を乗り換えたヘロディアの方がヨハネを激しく憎んでおり、後に、自分の娘を用いて、ヨハネの首をはねるように要求したほどでした。当時の人々は、ヘロデ……アンテパスやヘロディアの気性をよく理解していましたから、誰もそれを公然と批判はしませんでした。

しかし、バプテスマのヨハネは、神以外の誰をも恐れないゆえに、権力者を批判して、捕らえられてしまいます。

13節は、「そしてナザレを離れて、カペナウムに来て住まわれた。そこは湖のほとりの町で、ゼブルンとナフタリの地方にあった」と記されています。イエスの生まれ故郷はナザレですから、「ガリラヤに退かれた」というなら、そこに住むのが自然な流れですが、イエスは敢えてカペナウムに住まわれます。

その町にはローマ軍の基地があり、漁師町である以上に商業の中心地でした。まさに「異邦人のガリラヤ」と呼ばれる地の中心都市でした。

なお、原文では、13節の終わりのことばは「ゼブルンとナフタリ」であり、ここからイザヤ9章の預言の「成就(14節) という話に展開されてゆきます。ただ、ここで引用されたことばは、ヘブル語聖書またギリシャ語七十人訳とも異なった、その要約的な表現で、次のように記されます。

ゼブルンの地とナフタリの地、海沿いの道、ヨルダンの川向うへの、異邦人のガリラヤ。闇の中に住んでいた民は大きな光を見る。死の陰の地に住んでいた者たちの上に光が昇る」。そこでの「海沿いの道」とは「ヨルダンの川向こう」のシリアのダマスコから地中海岸のカイザリアに至る通商路で、そこは同時に捕囚の民が通された道であるとも言われます。

この預言は、そのイスラエル北部の割り当て地がアッシリア帝国に支配され、その二部族の住民が別の地に強制移住させられ、そこに多くの異教徒たちが住むようになったという現実を指します。

そしてその地方全体がイスラエル部族の名によってではなく「周辺」という意味に由来する「ガリラヤ」と呼ばれるようになりましたが、そこに希望の「光が昇るというのです。

ヘブル語聖書のイザヤ9章1節では、「しかし、苦しみのあったところに闇がなくなる。先にはゼブルンの地とナフタリの地は辱めを受けたが、後には海沿いの道、ヨルダンの川向う、異邦の民のガリラヤは栄誉を受ける」と記されていました。

そこではゼブルンナフタリという名には苦難と闇のイメージがあった一方、ガリラヤ異邦の民の地方でありながら、「栄誉を受ける」という希望が描かれていました。

そのイザヤ書では続けて、「闇の中を歩んでいた民は 大きな光を見る。死の陰の地に住んでいた者たちの上に光が輝く」と記されます。それがマタイでは、「歩んでいた」が「住む」に、「光が輝く」が「光が昇る」と若干修正されながら引用されます。

そしてその上で、「」の具体的な現れとして、イザヤ9章6、7節では、「ひとりのみどりごが私たちのために生まれる。ひとりの男の子が私たちに与えられる……その主権は増し加わり、その平和は限りなく、ダビデの王座に就いて、その王国を治め」と記されていました。

つまり、ここではダビデ王国を復興する「救い主がガリラヤに現れると記されていたのです。当時のユダヤ人はイザヤ9章のみことばを聞くと、すぐにダビデ王国の平和を実現する救い主の登場を期待しました。

そして、「この時からイエスは宣べ伝えて言われた、『悔い改めなさい(回心しなさい)。天の御国は近づいたから』」と記されます。

天の御国」とは、マルコやルカが「神の国」と表現するのと同じ意味です。マタイはユダヤ人向けにこれを記しており、ユダヤ人は「」と発音することで「御名をみだりに口にしてはならない」という十戒に反することにならないようにと、「」を「」と読み替えました。どちらにしても、それは新しいダビデ王国のような、地上的な神の支配を指す表現で、文語訳のように「天國」などと訳してはならないことばです。

しかもこれは多くの英語訳では、”Repent, for the kingdom of heaven is at hand.”と訳されます。「at hand」とは「手元に」という意味で、王国の実現が時間的に近いということ以上に、イエスにおいて「神の国」が目の前に来ているということを表現したものと思われます。それは当時としては、バビロン捕囚の状態からの解放を意味したと思われます。

イスラエルという国に神の目に見えるご支配が現わされること、「のろい」の時代が過ぎ去り、「祝福」の時代が始まることを意味しました。「救い」とは、私たちのたましいが天国で憩うという以前に、この世界に神の祝福が見えるようになることを意味しました。

2.「彼らはすぐに……イエスに従った」

18-20節は、「イエスは、ガリラヤの湖のほとりを歩いておられるとき、ご覧になった、二人の兄弟、ペテロと呼ばれるシモンとその兄弟アンデレを。彼らは、湖で網を打っているところであった。彼らは漁師であった。イエスは彼らに言われた、『わたしについて来なさい。わたしはあなたがたを作り上げよう、人間をとる漁師へと』。彼らはすぐに網を手放して、イエスに従った」と記されています。

ここで強調されているのは、イエスは「ご覧になった」「言われた」「ついて来なさい」「作り上げよう」というイエスの行動と命令とそれに対する応答として、「彼らはすぐに……従った」という行動です。

私たちはついペテロとアンデレの信仰に目を向けますが、ここではイエスのことばの権威が彼らを従わせたという面が強調されています。

人間をとる漁師にしてあげよう」ということばは、ほとんどの英語で、「I will make you fishers of men」と訳されていますが、ここでは「わたしがあなたがたを作り上げよう」というイエスの権威が強調されています。

ペテロアンデレは漁をしている途中だったにもかかわらず、イエスの招きを聞いたときに、またそこに込められた約束のことばの権威に、従わざるを得ない気持ちになったということではないでしょうか。

21、22節でも、「イエスはそこから進んで、ご覧になった、別の二人の兄弟、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネを、彼らは父ゼベダイと一緒に舟の中で網を繕っていた。イエスはお呼びになった。彼らはすぐに舟と父親を残して(手放して)、イエスに従った」と記されています。

ここでは不思議に「ゼベダイ」「」ということばが二回ずつ記されます。ヤコブヨハネゼベダイをそこに残してイエスに従った」というのですが、これは当時の父親に絶対的な権威があったことからしたら、あり得ないことです。父親と仕事をしている最中に、イエスの呼びかけに応じて従うなど、常軌を逸しています。ですからこれは決して、信仰的な美談とは当時は見られません。「あなたの父と母を敬え」という十戒に真っ向から反するからです。

ですから、これは安易に、「ヤコブとヨハネは、父とともに働いている最中に、すべてを捨ててイエスに従った、彼らの信仰に倣いましょう!」などという模範としてはなりません。イエスの命令と父の命令が矛盾しない場合も多いからです。ここでは何よりもイエスの権威が父親に勝るということが描かれているのです。

私たちはこの二つの弟子の召命の記事を、弟子の信仰的な決断に焦点を合わせて考えがちですが、このテーマは、「神の国」または「神のご支配」が弟子たちの上に現れたことと理解すべきでしょう。

当時の社会の秩序では、王様には、全住民を従える権威がありました。住民は、王命が降るなら、自分の意志に無関係に兵役に就く義務がありました。娘を側女に出すように求められれば出す必要がありました。税金の額も、求められるままに支払う必要がありました。

ですから、イエスにおいて神の国」がそこに実現した証しとして、弟子たちはイエスの招きにすぐに従ったということが描かれていると考えるべきでしょう。

もちろん、この四人の人は、「イエスに信頼した」からこそ、「イエスに従った」ということは確かです。ただここでは、弟子たちの信仰以前に、神の国の現れとして、イエスが弟子たちを従わせるということが描かれていると考えるべきでしょう。

私たちの場合も、確かに、自分の意志でイエスに従うようになったのですが、そこには創造主である聖霊の働きがありました。神のご支配が私たちに現れた結果として、私たちはイエスに従っているのです。

それと同じ原則を、イエスはヨハネの福音書15章16節で、弟子たちに向かって、「あなたがたがわたしを選んだのではなく、わたしがあなたがたを選び、あなたがたを任命しました。それは、あなたがたが行って実を結び、その実が残るようになるため、また、あなたがたがわたしの名によって父に求めるものをすべて、父が与えてくださるようになるためです」と言われました。

3.「イエスはガリラヤ全域を巡り歩かれた……こうして大勢の群衆がイエスに従った」

4章23節は、「イエスはガリラヤ全域を巡り歩かれた、彼らの会堂で教えながら、御国の福音を宣べ伝えながら、民の中のあらゆる病やわずらいを癒されながら」と記されています。ここではイエスの働きが、「教える」「宣教」「癒し」の三つのみわざが記されています。

教える」も「宣教」も同じように思えますが、「教え」はユダヤ人の会堂に入ってなされました。当時の会堂では、誰でも比較的自由に礼拝の中で立って語ることが許されていました。たぶん、会堂管理者は、イエスが会堂に入って来るやいなや、主の権威に圧倒されるように、みことばの説き明かしの機会を与えたことでしょう。そして、そこで語られたことの内容は、「神の国の到来の預言を説き明かす」ことだったはずです。

また、「御国の福音を宣べ伝え」と記されていることは、直後の山上の垂訓のように、青空のもとでなされたメッセージだったことでしょう。

そして「癒し」のみわざは、ご自身によって神の国が到来したということを示すためでした。ここで「癒し」の対象としての「」も「わずらい」も同じようなものですが、そのような同じ意味のことばを並べることで、イエスの癒しのみわざが広範囲の病気にわたったことが強調されています。

イザヤ35章4節の終わりでは、「神は来て、あなたがたを救われる」と記され、それに続く5、6節では、「そのとき、目の見えない者の目は開かれ、耳の聞こえない者の耳は開けられる。そのとき、足の萎えた者は鹿のように飛び跳ね、口のきけない者の舌は喜び歌う」と預言されていました。

ですから、イエスが「あらゆる病やわずらいを癒された」ことの目的は、何よりも、神の国の到来の預言が成就したことを証明するためと言えましょう。

24節は、「イエスの評判は広まった、シリア全域に。それで人々はあらゆる病人をみもとに連れてきた、様々な病や痛みに苦しむ人、悪霊につかれた人、てんかんの人、中風の人などを。そしてイエスは彼らを癒された」と記されています。

23節ではイエスが「ガリラヤ全域を巡り歩いた」ことが描かれていましたが、ここでは人々があらゆる病の人を、イエスの「みもとに連れて来た」ということが強調されます。

25節では「こうして大勢の群衆がイエスに従った、ガリラヤ、デカポリス、エルサレム、ユダヤ、およびヨルダンの川向うから」と記されています。

ここでの「従った」ということばは、イエスが先に四人の弟子たちを招いたときに、彼らが「従った」というときと同じことばです。つまり、先には、イエスご自身が弟子たちを見つけ出して、召した結果、彼らが「従った」と記されていたことが、ここでは、大勢の群衆がイスラエルのあらゆる地方から来て、イエスに従うようになったということが強調されます。

それらはすべて、イエスの評判がシリアからイスラエル全体に広まって、彼らの方からイエスのみもとに来たからでした。

これらの箇所で不思議なのは、イエスは最初、ご自身でガリラヤ全域を巡り歩くことで、ご自身の評判が周辺地域に広まるようにして、より多くの人々が自分からイエスのもとに来るように仕向けたということです。

しかも、イエスはその際、一つの場所に定住して、ピラミッド的な教団組織を作ろうとしませんでした。今も昔も、有名になった宗教指導者は、自分の権威をより高めるための階級組織を作ります。教祖に会いたいと思う者は、門番を通して面会を願いますが、その際、紹介者の存在や特別なお金を支払うことが必要になります。たぶん、教祖に会うまでの間に、何人もの弟子たちの面接を潜り抜ける必要があることでしょう。そのたびに紹介料が必要になったりします。

しかし、イエスはいつも適度に移動するとによって、そのような自然発生的な組織ができることを避けていたとも言えます。

イエスはそのような仲介者の存在を排除しながら、ご自身との出会いを求める一人ひとりに、パーソナル(個人的、人格的)に出会うことを大切にされ、一人ひとりの必要に答えて行かれました。イエスはいつも一人ひとりを見ておられました。

イエスは後に、ご自分を信じたユダヤ人に向かって、「あなたがたは、わたしのことばにとどまるなら、ほんとうにわたしの弟子です。あなたがたは真理を知り、真理はあなたがたを自由にします」と言われました (ヨハネ8:31、32)。

それに対して彼らは「私たちはアブラハムの子孫であって、今までだれの奴隷になったこともありません。どうして、『あなたがたは自由になる』と言われるのですか」と答えました (同8:33)。

イエスの宣教の中心地だったカペナウムには、一見、自由なようで、お金や権力の奴隷になっていた人々がいました。その代表者が「取税人マタイ」です。

別に取税人の仕事が「」だというのではありませんが、彼らの多くは、ローマ帝国に媚びて、その権力をかさに着て、私腹を肥やすために、ユダヤ人たちに嫌われながら仕事をしていました。

たぶんマタイも同じような感覚で取税人の働きをしていたことでしょう。そして彼の召命に関して、「イエスは……マタイという人が収税所に座っているのを見て、『わたしについて来なさい』と言われた。すると、彼は立ち上がってイエスに従った」(マタイ9:9) と、ペテロやヨハネの場合の「召し」と同じように記されています。イエスがマタイをお金と権力の奴隷状態から解放したのです。

一方、当時のエルサレムで一番の権力者は、ローマ総督ピラトでした。彼は誰よりも自由な立場にいたはずです。彼は判決に先立ち捕らわれのイエスと個人的な会話をします。イエスはご自分が真の「」であることを証し、「真理に属する者はみな、わたしに従います」と言われますが、ピラトは「真理とは何なのか」と答えます (ヨハネ19:37、38)。

その後、彼はイエスの無罪を確信しながら、十字架刑を宣告します。それは、ユダヤ人からイエスを釈放するならローマ皇帝に背くことになると脅され、暴動の発生を恐れたからです。それはピラトが権力の奴隷として、真理に逆らったことを意味します。

死刑の執行を判断する自由を持っていたピラトは、誰よりも不自由でした。そして、十字架に架けられたイエスこそは、死の脅しや死の力から真の意味で自由な方でした。そして、イエスの「神の国」は、人々をこの世の権力の脅しや支配から解き放つ力を持っていました。事実、イエスの復活を見た弟子たちは、いかなる権力の脅しにも屈することなく、イエスこそがこの世界の真の王であることを証ししました。

また、イエスが人々の「あらゆる病、あらゆるわざわいを癒された」ことは、イエスがすべての人を「死に至る病」から解放したことを意味します。イエスに従う者は、すでに「死からいのちに移っている」(ヨハネ5:24) ので、死の力から自由にされています。

真理はあなたがたを自由にします」とイエスが言われた「真理」とは、「真実」「まこと」とも訳されることばで、ヘブル語では「エメット」と表現され「アーメン」と同じ語源のことばです。そして、イエスこそが私たちを決して裏切ることのない真実に満ちた方です。

多くの人々がこの世の権力やお金の奴隷になるのは、この世界の真実の支配者であるイエスの「真実」を知らない結果に過ぎません。私たちは今も、この世の権力や富、名声の誘惑に屈しそうになることがありますが、イエスを見上げるたびに、それから自由になることができます。それはイエスの弟子として生きる中に、真の心の自由があるからです。

私たちは自分の心の内側を見るなら絶望するしかないかもしれませんが、イエスはそんな私たち一人ひとりに、「わたしについて来なさい」と呼びかけておられます。そしてイエスの真実が、真の自由を生み出して行くのです。