私たちはみな基本的に豊かさを求めています。富を得ると、大きな家に住み、一人ひとりの部屋を持つことができます。自分のやりたいことを自由にできる余裕が生まれ、個々人の活動範囲も広がります。しかし、それとともにいっしょに集まろうとしても、互いのスケジュールを調整するのが大変です。その結果、お互いの心と心が離れて行きます。
マザーテレサは、富は不幸です。それは人の気前の良さをなくし、心を閉ざし、窒息させてしまうからですと言いました。豊かさは孤独の最大の原因になり得るのです。そのため、私たちは豊かになればなるほど、意識的に犠牲を払って、時間と豊かさを共有するスペースの確保が必要になります。
私たちの教会は、遠くから通って来られる方々が多くおられます。それぞれのご家庭から教会まで、一時間ぐらいかかる方がほとんどかと思われます。礼拝の場は、歩いて行ける距離にあるべきだと考える方も多いですが、そのような方は、今日の聖書箇所を読むべきでしょう。
1.「主が選ぶ場所でいけにえをささげ、主の前で喜び楽しむ」
イスラエルの民は荒野において、神の幕屋を真ん中に、それを囲むように十二部族が宿営し、偶像礼拝の民から分離して生きていました。
しかし、約束の地では分かれて住み、様々な誘惑にさらされます。カナンの宗教は一見極めて陽気で自由奔放で、人の肉的な欲望を刺激するような性格を持っていたからです。豊かな現代の私たちの前にも、神から目を背けさせる世の文化の誘惑が満ちています。
12章1節の「おきてと定め」ということばは5章1節では「十のことば」の始まりに、11章では祝福かのろいかの選択を迫った後の32節に記されていました。12章から新しい教えが展開される初めにこのことばが登場します。
まず、約束の地に入った後に、高い山や丘の上にある異教の礼拝施設を破壊し、「彼らの神々の彫像を粉砕し・・消し去りなさい」と命じられます。それは主が先に、「これらの国々が悪いために」(9:4,5)、主ご自身が「彼らをただちに追い払って、滅ぼす」(9:3)と言われたように、その地の先住民を主ご自身がさばくということを前提に命じられたことです。現代に適用できることではありません。
それにしても12章で何よりも興味深いのは、イスラエルの民が約束の地に入った後、主へのささげものは、定められた一つの場所だけで行うように命じられたことです。
現在のイスラエルの面積は日本の四国とほぼ同じと言われます。ただ、ヨシュアの時代に各部族に分配された地は、南は現在より狭かった一方、東はヨルダン川西岸、北はヘルモン山まであったので、四国の五割増しの広さだったと思われます。そこに礼拝の場が一か所だけというのはかなり不便な感じがします。
12章では「主が・・選ぶ場所」と繰り返されますが(5,11,14,18,21,26節)、それは主が「ご自分の住まいとして御名を置く」、つまり「契約の箱」が置かれる場です。たとえば、サムエルの父エルカナは「自分の町から毎年シロに上って・・・家族そろって、年ごとのいけにえを主にささげ、自分の誓願を果たすために上って行こうとした」(Ⅰサムエル1:3、21)とあるように、それはかつてシロだった時期がありますが、最終的にエルサレム神殿として実現します。
これを実行することは、遠くに割り当ての地を受けた部族にとっては大変なことです。たとえば、北の中心地ダンからエルサレムまでは直線距離で170㎞ぐらい、立川から長野市に行くよりも若干短い程度の距離で、家族で旅行する場合は往復で一週間程度はかかったことでしょう。
士師記を見ると、そのためかダン部族は最初の段階から、自分たちの礼拝施設を勝手に作ってしまった様子が記されます。
しかし、それでも、「あなたがたは全焼のいけにえや、ほかのいけにえ・・をそこに携えて行きなさい」(12:6)と命じられました。約束の地の外では、「おのおのが自分の正しいと見られることを何でもしている」(12:8)という現実がありましたが、約束の地においては、主を礼拝することにおける一致が何よりも大切にされました。
イスラエルの民が荒野を旅する時、それぞれの部族の宿営は隣り合わせにあり、主の幕屋が十二部族の真ん中にありました。約束の地に入れば、それぞれが広大な土地を割り当てられる一方、幕屋までの距離は遠くなりましたが、それでも主がイスラエルの真ん中に住むということは、主の幕屋がそれぞれの部族にとっての共通の中心地であることに変わりはないのです。
幕屋まで遠くなるのは、主が与えてくださった豊かさの代償でした。ですから、彼らが礼拝のために犠牲を払うのは当然だったとも言えます。
人はすぐに自分の願望や理想を偶像としてしまう習性があります。この世は手軽さや便利さを追求しますが、神は物理的な距離を越えて、あなたに礼拝の場を備えておられるのではないでしょうか。
自分の都合を優先するところからすべての偶像礼拝が始まります。それにしても多くの巡礼地の中心には、何かの聖なるシンボルのようなものがありますが、ここでの礼拝の中心地にあったのは、主ご自身が石に刻んだ「十のことば」(4:13)でした。みこばこそ礼拝の中心だからです。
ただし、それは苦痛が伴う義務ではなく、「家族の者とともに、主の前で祝宴を張り、あなたの神、主が祝福してくださったあなたがたのすべての手のわざを喜び楽しみなさい」(12:7)という祝福のときでした。ここでは、「主の前で・・喜び楽しむ」(12:7,12,18)ように繰り返し命じられています。
しかも、まわりの民にとっては、肉を食べることと、礼拝とは切り離せない関係にありましたが、ここでは、礼拝の場が遠く離れている場合、どの町囲みの中でも「あなたは食べたいだけ肉を食べることができる」と言われます(12:20、21)。ただし、その際、「血は絶対に食べてはならない」(12:23)と周辺の民に習わないように警告されます。
そして28節ではこれらをまとめて、「気をつけて、私が命じるこれらのすべてのことばに聞き従いなさい。それは、あなたの神、主(ヤハウェ)がよいと見、正しいと見られることをあなたがたが行ない、あなたも後の子孫も永久にしあわせになるためである」と記されます。自分ではなく、主の見方に従うべきです。
ダビデ王国が南北に分裂した後、北王国の王は、自分の民を南王国ユダの中心であるエルサレム神殿に上らせないように、勝手にサマリヤに礼拝の場を作りました。そして、後のサマリヤ人は、自分たちの山を礼拝の場と主張しました。
それを背景にイエスはサマリヤの女に、「真の礼拝者たちが霊とまことによって父を礼拝する時がきます。今がその時です。父はこのような人々を礼拝者として求めておられるからです」(ヨハネ4:23)と言われました。イエスは十字架によってご自身を、完全な永遠のいけにえとされたことで、神殿でのいけにえを不要にしてくださいました。それによって「父を礼拝する」ことが、物理的な礼拝施設から自由にされました。
ですから今、私たちは、いつでもどこでも、父なる神を礼拝することができます。ただしそれは、「霊とまことによって」、つまり、聖霊の導きと、「まこと」であるイエスを通してなされるべきものと言われます。
現在は、「キリストのからだ」である「教会」(キリスト者の交わり)こそ、「神の御霊」が宿る「神の神殿」であると言われますから(エペソ1:23、Ⅰコリント3:16)、新約の時代も、「おのおのが自分の正しいと見られること」をするというのではなく、神が選んでくださった兄弟姉妹が共に集まる場において礼拝するという原則が生きています。
神は、「真の礼拝者を・・求めておられる」と言われましたが、昔も今も、自分の都合や心地よさを優先した礼拝は退けられているのです。
2.主(ヤハウェ)は、地の面のすべての国々の民のうちから、あなたを選んでご自分の宝の民とされた。
イスラエルの神は、民が荒野の旅するとき、海を真っ二つに分けて道を作ったり、天からパンを降らせるような「しるしと不思議」を行ないましたが、豊かな約束の地においてはそのような必要はなくなります。
しかし、神の敵も「しるしや不思議」(13:2)を行なうことができると明言されています。大切なのは、神秘現象自体ではなく、それが人々の心を真の神から引き離そうとしているかどうかを見分けることです。ここではそれらの誘惑も主の御手の中で起こっており、「主(ヤハウェ)を愛するかどうかを知るために、あなたがたを試みておられる」(13:3)と記されています。
すべての神秘の背後に、私たちに対する主の試験があるのです。多くの人々も、神秘現象自体を追い求め、それが悪霊に由来するかもしれないということを疑いもしません。
しかし、神は、家族や親友がそのような偶像礼拝を勧める者になった場合、「そういう者にあわれみをかけたり、同情したりせずに…必ず殺さなければならない」(13:8,9)と厳しく命じました。そればかりか、場合によっては、町自体を破壊し尽くしてしまうように厳しく命じられています(13:12-18)。
ここでの鍵となるみことばは、「あなたは、あなたの神、主(ヤハウェ)の聖なる民である。主(ヤハウェ)は、地の面のすべての国々の民のうちから、あなたを選んでご自分の宝の民とされた」(14:2)です。彼らは「聖なる民」「宝の民」であるからこそ、カナンの偶像礼拝の文化からの分離される必要があったのです。
そしてその「分離」は何よりも食生活に現されました。14章3節から21節まで、食べて良い動物と食べてはならない動物の区別が記され、「あなたがたには汚れたものである」と繰り返されます(14:7,8,10、19)。つまり、豚肉や蟹や海老自体が汚れているというのではなく、「あなたがたには」汚れていると記されています。実際、彼らにとって汚れたものを「外国人に売る」(14:21)ことは許されていたのです。
ところが、新約の時代、福音が異邦人に広がる際に、主はペテロに、夢を通して、彼にとって汚れた動物を食べるように命じ、それを断る彼に、「神がきよめた物を、きよくないと言ってはならない」と言われました(使徒10:15)。これこそ、異邦人伝道の最大の障害を取り除く神のみわざでした。
現代の私たちにも、占いや性的不道徳など、断固拒絶すべきものがあります。しかし、私たち自身が既に「聖霊の宮」(Ⅰコリント6:19)とされてますので、食べ物によって自分の身を汚す心配はありません。むしろ、「それぞれ自分の心の中で確信を持ちなさい」(ローマ14:5)と、生活のほとんどの分野においての自主的な判断を委ねられています。
ただし、すべては、「あなたがたは、食べるのにも、飲むにも、何をするにも、ただ神の栄光を現わすためにしなさい」(Ⅰコリント10:31)という原則の中で判断する必要があります。私たちは、与えられた自由を放縦の機会としないように注意しなければなりません(ユダ4)。
3.「そうすれば、あなたのうちには貧しい者がいなくなるであろう」
「収穫の十分の一を必ず毎年ささげなければならない」(14:22)との命令は聖書で一貫しています。ただし、それはすべてレビ族に与えるべきと命じられていました(民数記18:21)。ところが、ここでは「あなたの神、主(ヤハウェ)の前で食べ、あなたの家族とともに喜びなさい」(14:26)と、神の幕屋の庭で家族がそろって食べるために用いるようにと命じられます。
これに関し、保守的な聖書学者は、申命記では、通常の十分の一のささげ物とは別に、交わりのための第二の十分の一を聖別することが命じられていると解釈します。
しかも、それは、三年ごとに町囲みにいるレビ人、在留異国人、みなし子、やもめらが「食べ、満ち足りる」(14:29)ためにも用いられました。人は豊かになるほど、けち臭くなる傾向があるからこそ、神は約束の地での豊かさを、独り占めにしないように新たに命じられたのではないでしょうか。
15章での、「七年の終わりごとに、負債の免除をしなければならない」(15:1)と命じられます。レビ記25章で命じられた「主の安息の年」(サバティカル)では、「土地」の安息が中心でしたが、ここでは七年ごとに、主にある「兄弟」の安息のために、同胞の借金を棒引きにすることが命じられています。つまり、ユダヤ人の金融業は同胞に向けては成り立たなかったのです。
ただし、3節では、「外国人からは取りたてることができる」とあるように、外国人を対象には成り立ったので、ユダヤ人は後に金融業で栄えることができました。なお、この規定の目的は、「そうすれば、あなたのうちには貧しい者がなくなるであろう」(15:4)という同胞の助け合いにあります。
その結果、「あなたは多くの国々に貸すが、あなたが借りることはない。また・・・多くの国々を支配するが、彼らがあなたを支配することはない」というイスラエル共同体の繁栄が約束されます。それはただ、イスラエルだけが豊かになれば良いということではなく、それを見て、他の国の人々がイスラエルの神に引き寄せられるためです。
初代教会においても、「彼らの中には、ひとりも乏しい者がなかった」(使徒4:34)という状態が実現しました。しかも、信者どうしが互いに助け合っている様子を見た周りの「人々は彼らを尊敬していた。そればかりか、主を信じる者は男も女もますます増えていった」(同5:13,14)とあるように、信者どうしの助け合いが、周りの人々を引き寄せたのです。
15章7-9節では、「あなたの兄弟のひとりが、もし貧しかったなら・・心を閉じてはならない。また手を閉じてはならない」と命じられながら、同時に、「第七年、免除の年が近づいた」と言って、「貧しい兄弟に物惜しみ・・・しないように気をつけなさい。その人があなたのことで主(ヤハウェ)に訴えるなら、あなたは有罪となる」と記されます。
借金免除の年を意識して、見て見ぬふりをすることは、罪なのです。
12-18節では、七年目に同胞の奴隷を、報酬を持たせてまで解放することが命じられています。ヘブル人は、借金の取りたてのために、同胞を自分の手で奴隷にすることが禁じられていましたが(レビ25:39-46)、やむをえない理由で他から売られてきたヘブル人を奴隷にするようになった場合でも、「七年目には・・自由の身にしてやらなかればならない」(15:12)と命じられました。
それは、「あなたは、エジプトの地で奴隷であったあなたを、あなたの神、主が贖い出されたことを覚えていなさい」(15:15)とあるように、主のあわれみを覚えることは、当然、隣人へのあわれみとして表わされるはずだったからです。
16章では、過越しの祭り、七週の祭り(ペンテコステ)、仮庵の祭りの三つの祭りのことが記されていますが、ここでも12章同様に、「主が(御名を住まわせるために)選ぶ場所」(16:2、11、15,16)と繰り返されます。
特に興味深いのは、過越しの祭りでは、「家族のために羊をためらうことなく、ほふりなさい」(出12:21)とあるように、家族単位で祝うことが命じられているのに、それにも関わらず、自分の家のある「町囲み」の中で祝うことが許されていないということです(16:5)。彼らは神の幕屋がある場所まで家族でそろって来る必要がありました。
七週の祭りでは、「男女の奴隷・・レビ人…在留異国人・・・やもめとともに、主(ヤハウェ)の前で喜びなさい」(16:11)と交わりの広がりと喜びが強調されています。
仮庵の祭りでも「共によろこびなさい・・・主があなたのすべての収穫、あなたの手のすべてのわざを祝福される…大いに喜びなさい」と記されます(16:14,15)。奴隷も、みなしごも、やもめも一緒に神の幕屋まで旅をして喜びを分かち合うことが命じられています。
これは、収穫の十分の一を家族ばかりかそのまわりの人々とともに分ち合うことを意味します。主の前での祭りを祝うことは、何とも不思議なことに義務として記されています。
新約でも、ナザレに住んでいた「イエスの両親は、過ぎ越しの祭りには毎年エルサレムに上った」(ルカ2:41)とあります。ただし、ナザレのような遠隔地に住む人にとっては、年に三度も神殿に行くことは無理で、一年に一度しか行けなかったことをも示唆しています。
しかし、それはこの律法が与えられたはるか後の時代の事情です。本来、もしイスラエルの民が与えられた相続地で、主の御教えに忠実だったとしたら、生活ははるかに豊かになっていたはずで、年に三回の巡礼も義務というより、大きな喜びのときとなっていたはずなのです。
特に、イエスの時代には、民全体が不従順な結果、国全体が貧しくなり、それによって社会的な弱者が神殿に通う経済的な余裕もなくなるという負の連鎖が進んでいました。
なお、イスラエルの民は安息日ごとに、主を礼拝するために会堂(シナゴーグ)に集まりました。そこでみことばの朗読を聞き、主を賛美し、互いの祝福を祈りました。
ただし、それはエルサレム神殿でのいけにえを伴う礼拝を補完するようなもので、会堂での礼拝がエルサレム神殿での礼拝に代わり得るものではありませんでした。現代の私たちの礼拝は会堂と神殿での礼拝を合わせ持つ意味があります。
主を礼拝する場を一つに限ることは、非効率なようでありながら、神の民としての平和と繁栄を保つためには不可欠でした。初代教会の姿は、「信じた者の群れは、心と思いを一つにして、だれひとりその持ち物を自分のものと言わず、すべてを共有にしていた・・彼らの中には、ひとりも乏しい者がなかった」(使徒5:32,34)と描かれますが、それこそ、聖霊ご自身が申命記の命令を成就されたしるしでした。
イスラエルの民は、荒野では、狭い宿営の中に肩を寄せ合いながら生きて来ました。しかし、広い約束の地に分かれて住み、それぞれが豊かになったとき、神の民の共同体が壊れる可能性がありました。それで主は、荒野で、主が彼らの真ん中に住み、互いに助け合いながら生きていた構造を、約束の地でも維持するように命じました。
この原則は、私たちにも適用できます。私たちはそれぞれ、主の不思議な導きによって、この会堂でともに礼拝するために集められています。そこには様々な異なった背景がありますが、私たちは今ここで、主によって召された礼拝共同体とされていることは確かです。
もちろん、様々な事情で教会を移って行かれる方もおられますが、私たちは決して、その方々を非難することはありません。ただ、今、この同じ空間で礼拝している私たちには、互いの時間と富を共有する時を持ちながら、全身全霊でともに主を愛し、互いに愛し合うという、主からの明確な命令があると考えるべきでしょう。
多くの日本のクリスチャンは、日本の閉鎖的な、互いに過度に干渉し合う村社会を嫌悪するようにして、信仰に導かれています。しかも、私たち自由教会は、何よりも個々人の良心の自由を尊重し、人の心の中に無遠慮に入り込むことを避けるようにしてきました。
同時に、社会は百年前とは比較できないほど豊かに便利になり、個々人のスケジュールが一杯になっています。ただ、それらの結果、ともに集まり、ともに礼拝し、ともに食事をし、ともに奉仕をするという時間がどんどん少なくなる傾向があります。
しかし、豊かになり、個々人の自由が広がれば広がるほど、私たちは意識して、互いのために時間と財を犠牲にする必要を覚えるというのが、主のみこころです。
そして、この愛の冷めた東京の地で、私たちが個々人の自由を尊重しつつ、互いに愛し合うことは、何よりもキリストを証しすることになるのです。