伝道者1章1節〜2章11節「今、ここで味わうことができる平安」

2008年10月26日

伝道者の書(コヘレトの言葉) 翻訳 高橋秀典

エルサレムの王、ダビデの子、説教者のことば (1:1)
「何と空しいことか!」と説教者は語る。「何と空しいことか。すべては空しい!」と。(2)
日の下で労苦すること、そのすべての労苦が、人に何の益をもたらすというのか? (3)
ひとつの世代が過ぎ去り、つぎの世代が来る。しかし、地はいつまでもそこにある。(4)
日は昇り、日は沈み、また昇ってきたところに急いで戻る。(5)
風は、南に吹き北に巡り、巡り巡って吹く。風は、巡る道にまた戻る。(6)
すべての流れは海に注ぐが、海は満ちることがなく、流れ注ぐ所にまた戻ってゆく。(7)
何もかもが疲れることばかり。誰も 語り尽くすことはできない。(8)
目は見ても満足することもなく、耳は聞いても満たされることはない。今まであったことはこれからもあり、今まで起こったことはこれからも起こる。 (9)
日の下に、新しいことは何もない。「見よ。これは新しい!」と言えるものが、何かあるだろうか? (10)
それはすべて、私たちが過ごしてきた、はるか先から既にあったもの。昔のことは忘れ去られている。そして、これから後のことも。(11)
また、そのずっと後のことでさえ、忘れ去られてしまう。説教者である私は、エルサレムでイスラエルの王であった。(12)
天の下に起こるすべてのことを、知恵によって探り調べようと、心を傾けた。(13)
これは神が、人の子らに労させようと与えたつらい労苦だ。日の下で起こるすべてのわざを見た。すべてが空しく、風を追うようなものだ。(14)
ねじ曲がっているものをまっすぐにはできないし、ないものは数えようがない。(15)
私は、この心に、「見よ。私は、今までエルサレムにいただれよりも、(16)
大いなる者となり、知恵を深めた。私の心は多くの知恵と知識を見た」と語りかけた。そして、実際に、知恵を知り、また、狂気と愚かさをも知ろうと 心を傾けた。(17)
それもまた風を追うようなものだと分かった。実に、知恵が多くなれば苛立つことも多くなり、知識が増せば悲しみも増す。(18)

私はこの心に、「さあ、快楽で自分を試し、何が心地よいかを見よう」と語りかけた。(2:1)
しかし、それもまた、空しかった。私は、「笑いは、ばかげている」と言い、「快楽が、何になろう」と言った。(2)
私は身体をぶどう酒で元気づけ、心は知恵で導かれながらも、愚かさに敢えて身を任せ、(3)
人の子らが短い生涯、天の下でどのように過ごすのが善いかを見ようと、自分の心で調べた。私は大きなことをやってみた。(4)
自分のためにいくつも邸宅を建て、自分のためにいくつものぶどう畑を植え、自分のためにいくつもの園と庭を造り、そこにあらゆる種類の果樹を植え、(5)
自分のためにいくつもの池を造って、木の繁る林に水を引いた。また、(6)
自分のために何人もの男女の奴隷を、家に生まれた奴隷に加えて、新たに買い、(7)
自分のために牛や羊を、先にエルサレムにいた誰よりも数多く持った。また、自分のために銀も金も、国々の王侯が秘蔵する宝をも蓄え、(8)
自分のために男女の歌い手たちと、人の子らの喜びとなる多くのそばめをそろえた。私は、先にエルサレムにいた誰よりも、はるかに大いなる者となったが、(9)
これらすべてにあって、私の知恵は私のうちに留まっていた。この目が欲するものは何一つ拒まず、あらゆる快楽にこの心を開いていた。(10)
実に、私の心は、これらすべての労苦の中で喜んでいた。そして、それこそが、すべての労苦から受ける分だった。しかし、私が、この手のわざと、労苦の結果のひとつひとつに向き合ったとき、見よ、すべては空しく、風を追うようなもので、日の下に益になることは何もなかった。(11)

二十世紀後半以降の世界文化は、ビートルズを抜きに語ることはできません。その出身地の空港は、そのリーダーの名をつけて、リバプール・ジョン・レノン空港と呼ばれ、彼の銅像も立っています。日本にもジョン・レノン・ミュージアムが埼玉新都心にあります。そこには彼が狂信者の銃弾に倒れるまでの40年の波乱に満ちた人生が描かれています。展示場の最後の部屋には、彼のことばが、「僕のマネしちゃダメだよ。歩けもしないのに、走ろうとしてたんだ。人生って、きついね。食ってかなきゃならないし、気配りもしなきゃならない。人を愛さなきゃならないし、一人前にならなきゃいけない。すごく大変で、ときどきメゲそうになる……」と記されていました。彼は、二度も、同じ親から捨てられたという心の傷を負いながら、悩み、苦しみ、でも最後は、自分の人生をやさしく見られるようになり、「心を開いて、『イエス(はい)』と言ってごらん」と記しています。でも決して、自分のマネをして欲しくないと言っています。人は、それぞれ自分の人生しか生きることができないからです。自分で気づくしかないからです。

1.「日の下に新しいことは何もない」

この書は伝統的にダビデの子、ソロモン王によって今から三千年近く前に記されたと解釈されています。新共同訳聖書は、この書名を原文そのままを用いて「コヘレトのことば」とつけています。それは、「会衆」「集会」と同じ言葉から派生しており、集会の説教者という意味だと思われます。日本では「伝道の書」または「伝道者の書」という呼び名で親しまれています。ソロモンは、イスラエルの王とされたとき、神から「知恵の心と判断する心」をいただき、シェバの女王がソロモンの名声を聞いて遠くからやってきたとき、「なんとしあわせなことでしょう。いつもあなたの前に立って、あなたの知恵を聞くことができる家来たちは」と感心しました (列王記3:12、10:8)。そして、私たちはこの書を通して、シェバの女王が感嘆した神がソロモンに与えられた「知恵のことば」を聞くことができるのです。

この書き出しのことばは、文語訳以来、「空の空……すべては空」という名訳が親しまれています。それは、聖書翻訳者がこの書に、仏教の真髄を276文字にまとめた「般若心経」と相通じる思想を見たからかもしれません。ただし、これを書いたのがソロモンであれば、彼は仏教の始祖、釈尊の550年前の人であり、また現在伝わっている般若心経の翻訳者は紀元後七世紀の、孫悟空のお話で有名な玄奘三蔵法師ですから、「空」ということばを定着させたこの有名な仏典が完成した1,600年も前に「伝道者の書」が記されていることになります。私などは、最近のコンピュータ技術の飛躍的な進歩になかなかついてゆくことができず、時代に取り残されるような焦りを覚えることがありますが、この書では、「日の下に新しいことは何もない」(1:9) と、断言されています。しかし、現代の日本では、今から1400年前に記されたこの般若心経が愛読され、その教えがなおも新鮮なものとして理解されており、また、今から三千年前に記されたと思われるこの書に驚くほどに親近感を見出すことができるとき、目に見える科学技術の進歩にも関わらず、人の心は何も進歩していないということを思い知らされるのではないでしょうか。

「空の空」と文語訳が訳したことばを、ここでは、「何と空しいことか!」と訳させていただきました。これはヘブル語の「ヘベル」の訳ですが、「霧」「息」「風」などと訳されることばです。ただ、このことばはこの書の後のほうでは、「空しい」としか訳しようがありませんし、ここは原文で、「空しさ」の最上級を意味するのがこの表現です。

そして、ここで言われる「空しさ」の理由は、「日の下で労苦すること」が、「人に何の益」ももたらさないように見える現実があるからです。この書で、「日の下」ということばは、目に見える世界のことを表しています。人間は常に、より住み良い世界を作り出そうと頑張ってきました。しかし、この驚くべき文明の発展が、人の幸せにつながっているのでしょうか。たとえば、インターネットの進歩で、アメリカにお住まいの方が、当教会のホームページを開いて礼拝メッセージを聞くことができ、「高橋先生のなつかしいお声での聖書の解き明かしを聞くことができて嬉しい……」などと言ってくださいました。それを聞いて僕も、「時代が変わったな……」と妙に感心してしました。しかし、その反面、国際金融や貿易に関わっておられる方は、昼夜を問わずに仕事をせざるを得なくなっています。つまり、技術の進歩が競争を世界的なレベルに広げ、私たちの心の余裕をますます奪っているのです。

今から1800年前に記された中国の古典の「三国志」の初めには、人は戦いに疲れると平和を求め、見せかけの平和の中で不満を募らせ、また戦いを始める、人間の歴史はその繰り返しだという趣旨のことが記されています。人の愚かさを覚えさせられるばかりです。それが、「ひとつの世代が過ぎ去り、ひとつの世代が来る……今まであったことはこれからもあり、今まで起こったことはこれからも起こる」(4、9節) ということの意味だと思われます。

そのような中で、「地はいつまでもそこにある」(4節) ということばは印象的です。上沼先生がその著書の中で、赤城山のことを書いておられます。空襲で町が焼けようとも、家族に耐えがたい痛みが起ころうとも、また自分の将来を開こうと必死に勉強をしているときも、この山は、何も変わることなく、夕日に映えた赤い裾野を見せながら、「そこにある」というのです。彼はそこに「存在の恐怖」のようなものを感じました。変わることのない原風景を前に、空っ風に向かいながら必死に自転車をこぎ、聖書の話を聞くために宣教師のもとに通いました。それはその後の人生の縮図のようなものかもしれません。「自分はなぜ生きているのだろう。なぜ、生きなければならないのだろう……」と問いかけて生きている中で、赤城山は静かに、変わることなくそびえています。ところで、5–7節には、今から三千年前のソロモンが、太陽の動き、風の動き、水の流れを的確に把握していることに驚くばかりですが、これも、波乱万丈と思える私たちの人生と驚くほど対照的とも見える悠々とした大地の動きを示しています。

このような現実を前に、「何もかもが疲れるばかり」(8節) と言わざるを得ません。私は大学生のとき、「僕の人生は空しいことの繰り返しだ……。何かを達成しても、喜びは一瞬で終わり、すぐに新しい目標に駆り立てられている。一つの不安が解消したと思っても、すぐに新しい不安が芽生えてくるだけだ……」と考えたことがあります。まるで疲れるために生きているようなものです。しかも、「誰も語り尽くすことはできない」とあるように、自分のことばの限界を感じるばかりでした。そればかりか、「目は見ても満足することもなく、耳は聞いても満たされることはない」とあるように、人はいつも欲求不満の状態に置かれているかのようです。それなのに私は、「もっと、もっと」と駆り立てられ、静かな時間を過ごすことに罪悪感を抱いていました。しかし、実際は、途方もない時間の無駄使いをしてきました。ふと、振り返ると、「何で、あんな小さなことに熱くなってしまったのだろう。おかげで、まわりの人まで振り回してしまった……あのすばらしい景色と穏やかなときを満喫していたほうが、ずっと自分のためになったのでは……」と思わされることがあります。そんな中で、「日の下に新しいことは何もない」(9節) と断言してもらえると、かえって、「そんなに人生を急いでどこに行くのか……」と思い直し、ゆっくり休む勇気をいただくことができます。

しかも、私たちが、「見よ。これは新しい!」(10節) などと感動するようなことがあったとしても、少なくとも人生の真理に関する限り、それは大昔から語られていることだと分かります。それが新しく見えるのは、「昔のことは忘れ去られている」(11節) とあるように人間の歴史における忘却のゆえです。たとえば多くの日本人はついこの前の第二次世界大戦の悲劇さえ忘れ、「日本がアメリカと戦争したなんて、嘘でしょう!」という若者がいるほどです。

2.「天の下に起こるすべてのことを、知恵によって調べ探ろうと、心を傾けた」

著者は、「説教者である私は、エルサレムでイスラエルの王であった」(12節) と自分を紹介し、「天の下に起こるすべてのことを、知恵によって調べ探ろうと、心を傾けた」と語っています。「天の下」ということばは「日の下」との対比で語られ、目に見える日々の現実の背後にある目に見えない人生の真理を見極めたいという願いを表します。そして、「これは神が、人の子らに労させようと与えたつらい労苦だ」(13節) と言われます。つまり、人は、「私は何のために生きているのだろう……」「この人生の苦しみに意味があるのだろう……」などと思い巡らし続けてきましたが、それは「神が与えた労苦」でもあるというのです。17世紀のフランスの科学者パスカルは、「人間はひとくきの葦に過ぎない。自然の中で最も弱いものである。だが、それは考える葦である。彼を押しつぶすために、宇宙全体が武装するには及ばない。蒸気や一滴の水でも彼を殺すのに十分である。だがたとい宇宙が彼を押しつぶしても、人間は彼を殺すものより尊いだろう。なぜなら、彼は自分が死ぬことと、宇宙の自分に対する優勢とを知っているからである。宇宙は何も知らない。だからわれわれの尊厳のすべては、考えることに中にある」(パンセ347) と言っています。「人間は考える葦である」とは教科書にも載っていることばですが、人が他の被造物に勝っているのは、その能力ではなく、自分の弱さ、人生のはかなさを知ることができることのなかにあるというのです。

そして、神がそのような「労苦」を与えた結果として、哲学や宗教が生まれます。その代表が、人生が空であることを教えた般若心経でしょう。残念ながら、多くの日本人は、般若心経を死者に向かって唱えますが、これは人間が極めた人生の知恵と言えましょう。その中心は、五蘊と呼ばれる「色、受、想、行、識」のすべてが、「空」であることを悟ることによって、人生の一切の悩み苦しみ克服するということにあります。「色」とは目に見える物のことです。その外からの刺激を感覚で「受け」、それが何だろうかと「想い」、それにしたがって「行動し」、その意味を認め「識る」という一連の感覚のプロセスです。つまり、目に見える現実の世界と、それを理解する人間の心の動きのすべてが、「空」であると把握することによって、人生の苦しみの連鎖から自由になれるというのです。そして、この「空」の意味は、辞書的には、「存在するものには、実体(我)がないと考える思想」と記されます。ただ、それが自分にどのような意味を持つかを知るためには、座禅をする必要があると言われます。そして、座禅をせずに、「空」の意味を知ろうとするのは、富士山に登らずに山頂の風光を味わうことと同じであるとのことです。ところで、座禅をするのは心を空(から)にするためですが、実際には静まろうとすると、普段忘れているいろんなことがかえって心をいっぱいにします。それに対して、思い浮かぶ「色」といわれる現実、それに「受」動的に反応する感覚のすべてに、「空」というレッテルを貼るばかりか、それを「想い」、それにしたがって「行い」、「識別する」というすべてに「空」と宣言し、思考を止めるとのことです。これによって、人は、自分の心を白紙にしてゆくというのです。

ただし、このように心を空(から)にする黙想の基本原則は、般若心経よりはるかに古い、三千年前のダビデの詩篇に既に記されています。たとえば、詩篇62編では、「ただ神に向かって、私のたましいよ。沈黙せよ。この方から 私の望みが来るからだ……あなたがたの心を御前に注ぎだせ」(5、8節私訳) と記されています。そこに共通するのは、自分から、また『我』から自由になるということです。詩篇のことばは、般若心経に比べるとはるかに単純に見えますが、そこには天と地ほどの決定的な差があります。聖書が勧める沈黙は、天地万物の創造主に向かってなされることですが、般若心経には創造主との対話という概念はありません。私のような凡人は、対話できるお方がいなければ、静まろうとしても、頭がかえって混乱してしまうばかりです。私の場合は、静まりの中で沸き起こる思いのすべてに「空」というレッテルを貼る代わりに、「主よ!」と呼びかけながら、思い煩いや悲しみ、怒りなど、すべての湧き起こる思いを、全能の父なる神にお委ねしてゆきます。私には仏教の体系を批判する資格などまったくありません。私は、たまたま、座禅によって自分から自由になるという道へと導かれたのではなく、イエス様に恋をし、イエス様を慕い、イエス様との対話の中で自分から自由になろうとする道へと導かれただけです。

ところで、どちらの静まりの方法を通しても分かる共通なことは、「日の下で起こるすべてのわざ」の「すべてがむなしく、風を追うようなものだ」(14節) という真理です。そして、「ねじ曲がっているものをまっすぐにはできないし、ないものは数えようがない」(15節) という、人間の努力で解決できものを見分けるということです。「平安の祈り」にあるように、「変えられないこと」と「変えられること」を「見分ける賢さ」を神様からいただき、「変えられないことを受け入れる平静な心 (Serenity)」を与えられるなら、人生はもう少しは楽に生きられるのではないでしょうか。

3.「人の子らが短い生涯、天の下でどのように過ごすのが善いかを見ようと、自分の心で調べた」

ところで、日の下での労苦が無意味であるということを突き詰めてしまうなら、生きることの意味がなくなってしまいそうです。般若心経では、「色即是空」と言った後、すぐに、「空即是色」と言われ、その空しい世界のただなかで生きてゆくことの意味が説かれます。私たちには現に、感受し、想い、行い、識別するという能力があるのですから、それを生かして生きるように求められています。般若心経は、死者に向かって唱える教えではなく、「今を大切に生きたい人」への教えであると言われます。しかも、自分は悟りを開いたという自意識を持つことがいかに危険であるかということも強調されます。そして、その基準からすると愚かと思えることが、1章16節から2章11節に記されます。聖書には人の失敗談ばかりが記されていますが、これもその一例でしょう。人の成功はほとんど参考になりませんが、失敗例は役に立ちます。なぜなら、そこには人が落ちる共通の落とし穴が見られるからです。

まずソロモン確かに、それまで「エルサレムにいただれよりも、大いなる者となり、知恵を深め……多くの知恵と知識を見た」(16節) というのは事実でしょうが、それはまだ体験を通してのことではありません。それで彼は、そのことを現実の中で、「実際に、知恵を知り、また、狂気と愚かさをも知ろうと 心を傾けた」(17節) のでした。そして、その結果、「それもまた風を追うようなものだと分かった」というのです。それは、「知恵が多くなれば苛立つことも多くなり、知識が増せば悲しみも増す」(18節) からでした。私たちも神のみこころを知れば知るほど、それに反する現実に苛立つことも多くなりますし、知識を増して世界の現実を知れば知るほど、悲しむ対象が増えてゆくからです。私たちは、「知恵や知識が、心の平安をもたらす」というわけにはいかない現実に直面せざるを得ないのです。

そのような中で、2章1節にあるように、彼は、自分の心に、「さあ、快楽で自分を試し、何が心地よいかを見よう」と語りかけ (1節)、それを実際に「試し」てみました。そして、「それもまた、空しかった」ということを体験的に知り、また、「笑い」とか「快楽」自体を目的とすることの空しさを体験的に知ったという結論をまず述べています。

そして、具体的な実験の内容が、3節以降に、「私は身体をぶどう酒で元気づけ、心は知恵で導かれながらも、愚かさに敢えて身を任せ」と記されます。これは、「快楽で自分を試す」という実験です。そしてその目的は、「人の子らが短い生涯、天の下でどのように過ごすのが善いかを見ようと」、「自分の心」を実験的に「調べる」(3節) ことでした。そして、「私は大きなことをやってみた」(4節) ということばに始まり、八回に渡って、「自分のために」ということばを用いながら、自分の心がどのように反応するかを実験しました。それは、十三年もかけて驚くほど豪華な宮殿を自分のためばかりか妻として娶ったエジプトの王女のために建て、ぶどう畑や広大な庭園を造り、奴隷や家畜を増やし、金銀や諸国の宝物を集め、音楽家を雇い、そして、何よりも、七百人の妻を娶り、三百人のそばめを置いたということに代表される彼の栄華と贅沢が記されています(Ⅰ列王記7–11章)。その上で彼は、「私は、先にエルサレムにいた誰よりも、はるかに大いなる者となったが、これらすべてにあって、私の知恵は私のうちに留まっていた」(9節) と述べています。それは彼が自分の心を、一歩、距離を置いて見ていたことを意味します。ただ、その際、「この目が欲するものは何一つ拒まず、どの快楽にも心を開いていた」(10節) とあるように、自分の欲望にブレーキをかけずに、自分の心が実際に何を味わうかを調べたのです。それで彼が実際に知ったのが、「実に、私の心は、これらすべての労苦の中で喜んでいた。そして、それこそが、すべての労苦から受ける分だった」ということでした。それは簡単に言うと、豪邸に実際に住んで贅沢三昧をするより、それを計画し、それを実行するというプロセスの中にこそ喜びがあったことです。しかし、実際にそれを手にして、「手のわざと、労苦の結果のひとつひとつに向き合ったとき、見よ、すべては空しく、風を追うようなもので、日の下に益になることは何もなかった」(11節) という空しさを体験したというのです。その喜びはあまりにもはかないものでした。しかも、その結果、彼は自分の支配地の住民に重い税金を課し、近隣の国々の人々に強制労働を課し、人々の恨みを買ってしまいました。そればかりか、彼は多くの妻たちの声に耳を貸して、創造主の怒りを買うような偶像礼拝に走ってしまいました。

私たちは、ソロモンの失敗を軽蔑するのではなく、彼が、人間の心に関しての壮大な実験結果を残してくれたことを感謝すべきでしょう。多くの人々は億万長者になること、また、人々の尊敬を得、またこの世界に影響力を発揮する存在になれることを夢見ていないでしょうか。しかし、それを手にする人は極めて稀です。私たちが学ぶことができるのは、そのようなこの世の成功を手にした人が、どこに幸せを感じることができたかという事実です。

ジョン・レノンはエルビス・プレスリーに憧れてロックンロールにのめりこんでゆきます。ただ、21歳のとき、彼は自分のこと、「僕は何も思い出せない 悲しみは あまりに深すぎて 感じることさえできない」と書いています。彼は17歳を迎えるころ二歳近くも年下のポール・マッカートニーと教会のバザーで出会い、互いに共鳴し合い、多くの曲を生み出すようになります。そして二十歳の頃は、ドイツのハンブルグの酒場でまるで肉体労働のような演奏をこなしながら、世界の舞台に羽ばたくことを夢見ていました。そして彼が24歳のとき、ビートルズは世界の伝説となりました。彼は、富と力と名誉のすべてを手にしました。しかし、ジョンにとって、「ビートルマニアの興奮は、やがて息が詰まるような恐ろしい退屈へと変わって行った」(アンソニー・エリオット「ジョン・レノン魂の軌跡」p36)というのです。

彼の心は、華々しい成功の中で、深く悶え、助けを求めて、「ヘルプ!」と悲鳴をあげていました。彼の音楽を聴いて、その心のうめきに気づいた人は少なかったことでしょう。彼は徐々に自分の心の闇を音楽で表現するようになります。そのような中で、小野洋子との出会い、彼はますます自分の心を正直に表現するようになります。出会いから五年後の31歳のとき名曲「イマジン」を作ります。その歌詞には洋子の影響力が強く表れています。そこには、「想像してごらん……すべての人々が、今、ここで、このときを生きている……すべての人が、仲良く、所有欲なんかを忘れて、平和に生きている」という夢が歌われています。私は、これを聞きながら、神が「新しい天と新しい地」を創造してくださるときのことをイメージすることができます。ただ、皮肉にも、それから二年あまり後に、ふたりの関係は一時的に壊れます。洋子が度重なる流産やジョンの甘えとわがままに耐えられなくなったからだと思われます。ジョンはさみしさに打ちひしがれ、泥酔を繰り返し破滅しそうになりますが、一年三ヵ月後に洋子の許しを得て再びともに暮らすことができるようになり、まもなくふたりに長男ショーンが生まれます。このときジョンは35歳、洋子は42歳でした。そして、なんと、それから五年近くの間、彼は人々の前から姿を消し、洋子が外で活躍できるようにしながら、自分はハウス・ハズバンドとして子育てに励みます。彼は食事を作り、パンを焼くことに驚くべき興奮と喜びを発見します。彼は家族三人で平和に暮らしている中に、人生の最高の喜びを味わいました。イマジンで歌っていた平和を、生活の中で実際に体験しました。そのころ作られた曲、Watching the wheels で、「僕は今、こうして、車輪が回っているのを見て幸せなんだ」と、「今、ここでの生活」に喜びを見出しています。

私たちは他の人の体験からこの世の成功や繁栄のむなしさを知り、喜びは、「今、ここ」での労苦のただなかにあるということを知ることができます。私たちは、しばし静まりながら、自分の心を動かし、駆り立てているものに気づく必要があるのではないでしょうか。私には、座禅を積んで悟りを開こうなどと願っても、それはできないでしょうし、そのように導かれたこともありません。ただ、私は、自分の中に得体の知れない欲望の塊が住んでいることを知っており、静まりながら、その一つ一つを、「主よ!」といいながら、神に明け渡します。そして、「この方から、私の望みが来る」(詩篇62:5) と告白します。それは自分の願望を貫こうと神にすがるのではなく、それを神に明け渡して、神の「望み」を生きることができるようにするためのプロセスです。私は日々何度もそれをやり直す必要があります。それは、自分に死ぬ過程とも言えましょう。そしてその際、「私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです」(ガラテヤ2:20) と告白するのです。