詩篇131篇「乳離れした児のように」

2019年3月10日 

詩篇131篇は120篇から134篇まで続く「都上りの歌」の一つで、これらの中心主題はエルサレム神殿への巡礼の旅です。私たちも「堅い基礎の上に建てられた都を待ち望んで……はるか遠くにそれを見て喜び迎え、地上では旅人であり、寄留者であることを告白」しているという旅の途中にあります(ヘブル11:9,13)。

私たちは今、ここでの生活が、旅の途中にあると思えば、少々の居心地の悪さに耐えることができます。また様々の分からないことがあっても、「やがて分かる」という希望の中で「待つ」ことができます。

人が目に見えない神を求める動機のひとつに、わざわいや苦しみを遠ざけたいという思いがあります。特に、日本人の心に根付く神道には、罪や穢れを祓い除くことで健康的な生き方ができるという教えがあります。

その起源である古事記には、天照大御神が須佐之男の悪行に心を痛め、天の石屋戸に隠れてしまい、全世界に暗やみとあらゆるわざわいが広がってしまったときのことが描かれています。そこで神々が相集って祭りをし、天宇受売命の神懸りの踊りに笑い声をあげたとき、天照大御神が不思議に思って戸を開け、光が全世界に満ちて来たと記されます。これが神楽や祭りの起源です。

現代の人々も、様々なわざわいに会わないように、神をお招きする祭りを行います。また、きよめや悪魔祓いなどで、神の愛が私たちに届くようにと儀式を行います。しかし、そこには、人生を明るく豊かなものにできるかどうかの鍵は、神ではなく人間が握っているという発想があります。

そのため多くの人にとっての礼拝とは「祝福」である前に、神の愛を引き出すための、神の御顔が隠されないための守るべき儀式になってはいないでしょうか。

しかし、「不妊の女」と嘲りを受けていたハンナが、主に必死にすがって、その結果サムエルが生まれ、彼を主にお献げしたとき、「(ヤハウェ)は殺し、また生かします。よみ下し、また引き上げます。(ヤハウェ)は貧しくし、また富ませ、低くし、また高くします」(Ⅰサムエル2:6,7)と告白しました。それは単純に、長い間、彼女の必死の願いに反して子を与えなかったのも神のみわざであり、また与えてくださったのも神のあわれみであるという告白です。

また、主ご自身が、「わたしのほかに神はいない。わたしは殺し、また生かす。わたしは傷つけ、また癒す。わたしの手からは、誰も救い出せない」(申命記32:39)と言っておられます。

確かに人生には、自分の努力次第で変わることが大きくあります。ですから私たちは小さい頃から勉強をし、自己鍛錬に励んできます。

あるとき子育ての悩みを分かち合っているお母さんたちの交わりの中で、「これについてはこう考えるべき、こうすべき」と互いに励まし合いながら、同時に、そうできない自分が責められる思いを味わっていました。

しかし、箴言8章を読む中でふと、そこに集まっている一同が、「父なる神と御子イエスは親しい対話の中で、深い大水の中に大地を生み出し、闇の中に光を創造してくださった……このお二方の愛の交わりの中に私たちは入れられている……欠けだらけの母であり妻である私が創造主の愛に包まれているのですね……」という趣旨の深い感動に満たされたとのことです。

様々な方法論を学ぶことは大切です。しかし、人生の最も根本的なことは、人間の計らいを超えたところにあります。そこに繰り返し立ち返り、日々の生活を、神の創造のみわざのうちに見直すこと、それこそ、この教会のヴィジョンである「新しい創造をここで喜ぶ」ということです。

旅人であり寄留者である者は、置かれた場に自分を適用させながら生きるしかありませんが、この世界は、本来的に住み心地の良い所ではないということを正面から受け止めると、反対に、毎日の生活の中に、旅人の感動のような喜びを発見することができることでしょう。

1.「神は、世界の基が据えられる前から、この方(キリスト)にあって私たちを選び……」

詩篇131篇のテーマは、変えられない現実に関しての無意味な詮索をやめ、そこに神の愛の御手が働いていると受け止める生き方です。それが、「私は自分のたましいを 和らげ また静めました」(2節)という告白です。

僕は若い頃、自分の出生の環境を恥じていました。だからこそ、故郷を離れ、世界に羽ばたくことに憧れを抱いたのだと思います。しかし、あるとき母が僕の幼児期のことを話しながら、「お前のいのちは、神様に守られていたんだね……」と言ってくれました。

僕は1953年3月に北海道の大雪山のふもとで生まれました。大変な難産で、自宅で僕を産んだ母は危うく死にかけました。しかし、母は休む間もなく農作業に出ました。そこで僕は家に置かれては、おくるみで窒息しかけ、農作業の場に置かれると風邪で高熱を出し、扁桃腺が腫れて呼吸困難に陥りました。ようやくたどり着いた病院では、「あきらめてください」と言われるほどの重症で、懇願する母に従い荒療治の治療が施され、心臓が一時的に何度か止まったとのことです。

しかし、そのたびに母が抱くと、心臓が再び鼓動を始めました。その後も、死ぬ寸前の危険に会いながらようやく育ちましたが、発育が遅れ、田舎の小学校なのに運動でも勉強でも「落ちこぼれ」でした。

幼児期の苦しみは、心にもマイナスの陰を落します。また、発育の遅れは、強い劣等感の原因になりました。その後は、追いつき追い越せで成長し、自分の心の渇きからイエス様の救いを求めるように導かれました。しかし、せっかくの信仰に導かれながらも、そこで「信仰によって不安を克服しよう!」などという上昇志向、問題解決思考のままでした。そのため、どうにも変わりようのない自分の不信仰に悩むという空回りが起きて来ました。

ところが、自分の人生を「神の選び」の観点から、優しく見直すことができるに連れ、気が楽になってきました。それをパウロはエペソ人への手紙1章4,5節において、「神は、世界の基の置かれる前から、この方(キリスト)にあって私たちを選び、御前に聖なる、傷のない者にしようとされたのです。神はみこころの良しとするところにしたがって、私たちをイエス・キリストによってご自分の子にしようと、愛をもってあらかじめ定めておられました」と表現しました。

このみことばによると、この私は神の燃えるような愛によって、目的をもって生かされているのです。そこでは、私にとってマイナスとしか思えなかった体験も、益として用いられます。人の心の傷に共感できる窓は、自分の心の傷から生まれるとも言えるからです。

私たちは多くの場合、幼児期に何らかの心の傷を負います。そこから自分を被害者に仕立てる人生の物語を描くことは簡単です。しかし私たちは、自分の人生の物語を、創造主の永遠の愛のご計画の中で描き直すことができます。

そこで神は、一人ひとりの主体性を重んじながら、ご自身を隠すようにして、私たちの人生を導いておられます。ただそのため、自業自得の苦しみに会うこともありますが、それをも主は益と変えてくださいます。なぜなら、神の選びは、苦しみを通して初めて見えてくるという面があるからです。

今、私にはっきりと分かっていることは、自分が神によって選ばれ、生かされ、固有の使命を与えられているということです。一方、私たちの周りには、「なぜ」と問いかけたくなることばかりがあります。

しかし、確かに私は生きています。それは神に生かされているからです。私は、「イエスは私の主です」と告白しています。それは私が創造主なる神によって選ばれたからです。そして、今、目の前に、締め切りのある仕事ばかりか、毎日、いろんな課題が押し寄せてきます。それは、神が私に期待をしておられるしるしと言えます。

もちろん私は、神の期待に応えられない自分に自分で失望して、自己嫌悪に陥ることが何度もあります。しかし、小学校で落ちこぼれだった僕のことを、ただ生きているだけで嬉しいと見ていた母のように、神は、あなたが今ここに生きていること自体を喜んでおられます。あなたは神に愛されている子なのですから。

2.「私は立ち入りません。自分の及ばない大きなことや不思議なことに。」

この世の不条理に関し、ヨブ記は不思議な視点を指し示します。ヨブは、神ご自身が、「彼のように、誠実で直ぐな心を持ち、神を恐れて悪から遠ざかっている者は、地上に一人もいない」(1:8)と評価するほどの義人でした。

ところが不思議にも、サタンは主から、ヨブのすべてのものを奪う許可を与えられ、ヨブは一日のうちに自分の七人の息子も三人の娘も七千頭の羊も三千頭のらくだも、たちどころに失ってしまうという悲劇に襲われます。そればかりか、足の裏から頭の頂まで、悪性の腫物で打たれ、土器のかけらで自分の身体をかくほどに苦しみます。

そのとき彼の妻は、「あなたは、これでもなお、自分の誠実さを固く保とうとしているのですか。神を呪って死になさい」(2:9)とまで言います。ところが、それに対しヨブは、何と、「私たちは幸いを神から受けるのだから、わざわいも受けるべきではないか」(2:10)と答えたというのです。

ところがヨブの三人の友人は、彼がこのような苦しみに合ったのは、ヨブの側に何か神を怒らせる理由があったはずだと断定し、彼に対して、神の御前に遜り、神の赦しを得るようにと勧めました。ところがヨブは、わざわいの原因は、自分の側にではなく、神のみこころにあると言い張り、「私は御前に自分の言い分を並べて、ことばを尽くして訴えたい」(23:4)とまで言います。

その後、主はヨブと三人の友人との会話を十分に聞いた後で、「(ヤハウェ)は嵐の中からヨブに答えられた。知識もなしに言い分を述べて、摂理を暗くするこの者はだれか……わたしが地の基を定めたとき、あなたはどこにいたのか……あなたはわたしのさばきを無効にするつもりか。自分を義とするために、わたしを不義に定めるのか……」(38:2,4、40:8)と言いながら、苦難の理由を説明することなく、ただご自身の創造のみわざを思い起こさせようとします。

それに対しヨブは、主からの直接の語りかけがあったこと自体に満足し、主に対して、「あなたには、すべてのことができること、どのような計画も不可能ではないことを、私は知りました。あなたは言われます。『知識もなしに摂理を覆い隠す者はだれか』と。確かに私は、自分の理解できないことを告げてしまいました。自分では知り得ない、あまりにも不思議なことを」(42:2,3)と応答します。

その後、主は、ヨブの三人の友人たちが神について誤ったことを主張したことを責め、ヨブにとりなしの祈りを願うように命じます。そして、ヨブが自分を責めた三人の友人のために祈ったとき、主はヨブの繁栄を元どおりにされ、所有物を先の二倍に増やされました。

これらすべてを通して、ヨブは最後まで、自分がなぜこのような苦しみに会ったのかの理由を知ってはいません。彼がやったことは、自分の苦しみをただ主に訴え続けたことでした。しかも、主はその態度を責めているように見えても、実際は、彼との対話を喜んでおられるように思えます。

主はヨブに「摂理を暗くするこの者はだれか」と問われましたが、ヨブは自分こそが知識もなしに摂理を覆い隠す者であることを認めました。この「摂理」とは「はかりごと」とも訳されることばで、神がヨブに関してサタンとの会話をした内容がこれに相当しますから、ヨブにはそれを知る権利があるようにも思えます。

しかし、ヨブは、神ご自身が彼に目を留めておられるということを知り、苦しみの原因が自分の落ち度にあるわけではないと分かるだけで十分だったのです。

しかも、サタンが主(ヤハウェ)に問いかけたことは、「ヨブは理由もなく神を恐れているのでしょうか」(1:9)ということであり、主がサタンにわざわいを許したのは、ヨブは目に見える祝福を奪われたとしてもなお主を恐れるということを示すためでした。

つまり、主は、ヨブを通して、サタンに対する勝利を宣言されたのです。その際、主がこのご計画をヨブに予め知らせてしまっていてはすべてが無意味です。「ヨブの信仰は、ご利益には基づかない」と、主は示したかったからです。

ダビデがここで、「(ヤハウェ)よ。私のこころは驕りません。またこの目は高ぶりません。さらに、私は立ち入りません。自分に及びのつかない大きなことや不思議なことに」(1節)と告白した背景には、このヨブ記があるのではないでしょうか。

人間の罪の始まりは、「神のようになって善悪を知る者となる」ことを願ったことでした(創世記3:5)。そして、ヨブを世界の中心に置いて見るとき、彼は神とサタンの駆け引きの駒のようにされているかのようです。しかし、この主人公は、神ご自身であり、主はヨブを信頼し、彼に期待することで、ヨブに主をのろわせようとしたサタンに勝利したのです。それはアダムがサタンの使いの蛇に負けたことを逆転させることでした。実際、ヨブ記は世界中の神の民にとって、サタンに対する勝利の歌となりました。

事実、福音は不思議にも、逆境の中で広がりました。それは、目に見えるわざわいを超えた、神との交わりから生まれる平安やいのちの喜びが、人々に感動を与えたからです。人はわざわいを恐れる以上に、心の底では、愛といのちの交わりをこそ求めているからです。

そのことをパウロは、「これらすべてにおいても、私たちを愛してくださった方によって、私たちは圧倒的な勝利者です」(ローマ8:37)と言い切りました。

3.このたましいは私のうちで、その乳離れした子のようです

ダビデは、「その代わりに 私は自分のたましいを 和らげ また静めました。乳離れした子が、母親のもとにいるかのように。このたましいは私のうちで、乳離れした子のようです」と告白します。

乳離れした子」が「平安」の象徴として描かれますが、昔は乳離れの時期が非常に遅かったようで、聖書外典Ⅱマカバイ7:27には、母親が息子に、彼のいのちは神の御手にあり、死刑執行人を恐れる必要などないと殉教を勧めながら、「お前を九ヶ月の間 胎内に宿し、三年間 乳を飲ませ、お前を養い」と言っています。またハンナは、サムエルが乳離れするとすぐに祭司のもとに渡しましたが、そのとき彼が三歳ぐらいになっていなければ、祭司に面倒をかけたことでしょう。

アブラハムはイサクの乳離れの日に、盛大な宴会を催した」(創世記21:8)という記事があるように、それは子どもの成長を喜ぶ機会でした。この時期には子どもは一人遊びができ、多少お腹を空かせても、母親が目の前にいることで安心し、待つことができます

ただし、それは一朝一夕でなることではありません。母親は、幼児が泣くたびに、必要にすぐ答え、乳を飲ませ、安心させて来ました。その積み重ねの結果として、子どもは泣いて叫ばなくても母親が自分を守ってくれるということを感じることができるようになりました。つまり、母親の愛情が、子どもの心を安心させてきたのです。

同じように私たちは、自分の心の中の叫びに、母親のように優しく耳を傾けながら、「自分のたましいを和らげ また静める」ことができます。

和らげる」とは、イエスがガリラヤ湖の嵐をしずめ、大なぎにしたような状態(マルコ4:39)です。また、「静める」とは、「安んじる」とも訳せることばで、目の前に人生の嵐が吹き荒れるような中でも、天地万物の創造主がともにいてくださるという霊的事実を信じて、待っていられるような状態です。

私たちは自分のたましいの中に沸き起こる嵐や不安の思いに蓋をして、それを押さえ込むのではありません。母親は子どもが泣くときに、たたいて黙らせるようなことはしません。かえって優しく抱擁し、乳を含ませることでおとなしくさせることができます。

私たちも、自分のたましいの叫びに、そのように対応する必要があります。その結果、自分のたましいが、私の中で、乳離れした子のように落ち着いてきます。

今私たちは、目の前に多くの問題が山積し、解決の目処が立たないままの中で、自分を選ばれた神の民イスラエルとして認めつつ、「イスラエルよ 待ち望め 主(ヤハウェ)を このときからとこしえに至るまで」(3節)と自分に語りかけることができます。

この詩は最初と最後に、「(ヤハウェ)」ということばが記され、乳離れした子が母親のふところにいるように、ヤハウェのふところに包まれているという感じが、今から、永遠に続くという構造になっています。

ヤハウェという御名は、主がご自身のことを、「わたしは 『わたしはある』 という者である」(出エジ3:14)と紹介されたことばに由来します。それは、主こそが、この世界のすべてのことを御手の中に治めておられるという意味です。

その方が、あなたを御子イエスに対すると同じように、「あなたはわたしの愛する子。わたしはあなたを喜ぶ」(ルカ3:22)と語りかけてくださるのです。全能の主があなたの側に立ち、あなたを守り通してくださるのですから、サタンの脅しに怯える必要などありません。

待ち望め 主(ヤハウェ)」と命じられているのは、すべての問題は、神のときが来たら解決することが明らかだからです。

この社会には様々な矛盾があります。それに対して、怒りの気持ちを抱くのは当然ですが、私たちの行動が怒りに駆り立てられているとき、それは愛の交わりを生み出す働きにはなりません。

この世に様々な矛盾があるのは、神が私たちを愛の器として生かす場を残しておられるとも解釈できます。分かっていることと分からなくてもよいことの区別をつけながら、日々、主から与えられた課題を生きる者でありましょう。

エミー・カーマイケルというイギリスの宣教師が、今から百年余り前、インドの南端のドノバーという町に住み、ヒンズー教の寺院で売春をさせられている少女を助ける施設を始めました。それは彼女が、33歳のとき、一人の少女を保護したのがきっかけでした。

エミー・カーマイケル

やがてそれは様々な虐待を受けた少女たちを保護し、自立を助ける施設として成長します。彼女は、「なぜ、このようなひどいことが……」という現実に直面し、また地元の人からの迫害も受け続けました。

しかも、63歳のときには転んで足を骨折し、20年間、自分の部屋から出ることができなくなりました。そのような中で、この詩篇から慰めを受け、次のような詩を記します。

父なる神さま 私の心に かなうように 
みこころを 変えてください と祈りましょうか
いいえ 主よ けっして そのようなことが あってはなりません
むしろ わたしの心が あなたのみこころと ひとつになりますように

はやる思い 切なる願いを 静めてください  
痛いほど 激しい思いを やわらげてください
ごらんください わたしの心の 深いところで 
さまざまな思いが ひしめきあっているのを
それらを 戒めてください 主よ  
それらを 清めてください たとえ 火をもってでも

わたしのうちに働いて みこころを行なう志を 立てさせてください
わたしのうちなる すべてのものが 愛する御方のみこころを 
静かに待ち望むことが できますように
そして ついに 満ち足りて 乳離れした児のように 
あなたを 仰ぐことができますように